今年の春からEテレ「クラシック音楽館」の構成が模様替えとなったことから、
N響演奏会の全貌は(別途料金を払って)BSで見てねということになりましたなあ。
この間の、生誕100年となるピアソラを取り上げた放送回などは あたかも特番でもあろうかという、
これまでにない特別仕様の作りでしたけれど、そんなふうにようすが変わったことで、
古いアーカイブではないN響演奏会そのものを 聴く機会は極端に減少したような次第です。
「クラシック音楽館」は元来「N響アワー」だったわけで、
長らくN響演奏会を収録して放送することこそがメインでしたから、見続けていると
N響の奏者たちの顔ぶれが見慣れたものにもなってくるのですな。
そんな中でお髭のオーボエ首席奏者も見慣れた顔としてあったところながら
どうやらこの茂木大輔さん、2019年3月に定年退職になったとか。
長年N響に在籍して、数多くの指揮者とともに演奏を作り上げてきたことを振り返って、
「交響録 N響で出会った名指揮者たち」なる一冊を上梓されたということで手に取ってみたわけです。
おそらく日本においてはN響がトップ・オケでしょうから、数多の有名どころを招いて指揮してもらい、
どの人をとってもすごいすごいという話ばかりかもしれんと予測していたところがどうやらそうでもなさそうで。
オケの奏者の本音として、CDをたくさん出しているような広く世の中に知られた指揮者は
N響といえどもそうそう客演してくれるでもなく、たまにそういう方がやってくると知ると手放しで喜ぶ茂木さん。
そのようすはミーハーともいえましょうが、子どものような素直さともいえましょうか。
さりながら一方では、よく知られている指揮者だからとやたらに持ち上げるばかりでもないようで。
例えばひと頃N響の音楽監督であったウラディーミル・アシュケナージについては、
こんなふうに書かかてありまして。
まあ正直(テレビなどでご覧のように)、指揮はお世辞にもカッコいい、スマートなもの、お上手なものではないのだが、本当にすごいところもあった。
褒めることは当然に忘れていないわけですけれど、
アシュケナージの指揮ぶりに関しては全くもってそのとおり!としかいいようがないような。
かねがねTVで見かけた際には、「この指揮でN響はよく演奏できるな」と思っていたものですから。
指揮者の仕事、本来何をなすためにいるのかを考えたときに、
指揮者の特質の第一が分かりやすい振り方だというつもりはないものの、
N響を退団してますます活動の軸を指揮に移しつつある著者本人も
東京音大の広上淳一教授について振り方の心得を学んでいるようなことを考えても、
この点、無視できるものではありませんですなあ。
ところでもうひとり、これまた指揮者としてのビッグネーム度合いでは
アシュケナージを凌ぐヴァレリー・ゲルギエフについては、このように。
…色々と記憶はあるのだが、全体として、どうしてあそこまでの世界的名声を保ち続けているのかの神秘にはたどり着けなかった気がしている。とても有名なあの振動する爪楊枝みたいな指揮棒はあまり使わず、意外に普通に(短い指揮棒で)指揮していたし、練習内容も親切で分かりやすく、特別に神がかったものとは感じられなかった。
そうなんですよねえ。ゲルギエフの実演には2度接しているのですけれど、そのときの相性でもありましょうか、
やはり「神がかったものとは感じられなかった」という印象は「そうなんだよね」でしたし、
それにもまして指揮ぶりがアシュケナージを凌ぐ分かりにくさなのではなかろうかとも。
引用では爪楊枝みたいな指揮棒と言ってますが、指揮棒を使わず手で振っていて、
しかもその手たるやただただ震えているだけのような(テルミンを演奏するようなふうでもありましょうか)。
…とまあ、何やらネガティブ表現のところだけ引いてくると、一事が万事で全体にそういう傾向かと
誤解を招くことになるやもしれませんが、まあ、ほとんどは褒め中心であることは間違い無しということで、
著者に誤解無きよう願います。
とまあ、N響を通じてたくさんの名指揮者と遭遇した著者ですけれど、
長らくN響の演奏会に通っておられる方(TV放送で見るだけとは集中度合いが違いましょうし)には
経験の重なるところでもありましょうか。
てなことを考えると、オケの音楽会に出かけてきた経験のある方々には
その人なりそれぞれの「交響録」、思い出に残る指揮者、記憶に焼き付いた演奏というのがありましょうね。
そのことを思い出させてくれたのが、最も本書に触れた甲斐があったということかもしれません。
個人的なところでは、何十年も前、新宿文化センターで聴いたクルト・マズア指揮、
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管によるベートーヴェンの7番、8番、
そして数年前にハンブルクのライスハレで聴いたエッシェンバッハ指揮、マーラーユーゲント管による
チャイコフスキーの5番が、記憶に焼き付いている演奏ということになりましょうかね。
よおく思い出すまでもなく浮かんでくるのですから、これが双璧といっていいのでしょう、個人の印象ですけれど。