どうやら真夏到来のこの時期に馴染まぬ一編ではありますなあ、「新説忠臣蔵・ひとりの家老の生涯」とは。

本来は師走のシーズンものですけれど、ともあれ伊集院静『いとまの雪』を読んでみたようなわけで。

 

 

徳川五代将軍綱吉の時代、江戸城内での刃傷事件といえば即座に

松の廊下の浅野内匠頭を思い浮かべるところでありましょうけれど、それよりも17年前、

やはり江戸城内において大老・堀田正俊が若年寄の稲葉正休に斬殺された事件があったとは、

以前『儒学殺人事件 堀田正俊と徳川綱吉』を読んで知り及ぶところでありました。

 

ですが、よもや赤穂浪士のお話の語り起こしがこの事件からとは、

なかなかに意表を突く始まりではなかろうかと思うところです。

 

大老の堀田が除かれたことで、綱吉と側用人・柳沢吉保の仲良しコンビが

(柳沢吉保の「吉」の一字は綱吉から賜ったものだったのですなあ)

やりたい放題の政治を始めることにもなるわけでして、

当時からしてすでに堀田排除への綱吉の関与が噂されていたのですな。

(それが『儒学殺人事件』のお話にもなるわけですが)

 

一方、綱吉の時代には多くの大名が改易されたり減封されたりしていますけれど、

幕府財政の逼迫から天領を増やすための措置とも言われたりする。

小藩ながらも良質な塩の生産で知られた赤穂はどうしてもそのターゲットになるわけで、

これを巡る策謀が藩主浅野長矩に刃傷事件を起こさせる原動力となり、

裏には将軍綱吉、それ以上に柳沢吉保の暗躍があった…ということで

冒頭のお話と赤穂浪士がつながってくるのですな。

 

されど、新説忠臣蔵たる由縁はそこに留まるところではなく、全編、大石内蔵助の生涯をなぞりつつ、

吉良への仇討ちには綱吉・吉保コンビの転覆をも目論んで、自らは切腹した後にも生きる布石を

数多仕組んでいたことが語られるのでありますよ。

 

先日、『女だてら』を読んでいて、物語を作り出す楽しみに思いを馳せたところですけれど、

これもまた「もしかしたら、こんなことだったかも…」と気が付いたことを実際の話に組み込んでみたら

思いのほかうまく嵌ったとして「しめしめ」と、にんまりする作者の顔が思い浮かぶようではありますね。

 

とにかく、赤穂浪士の話は歌舞伎のみならず、映画でもドラマでも繰り返し描かれて、

時に新機軸や珍説が展開されることもあるわけですが、ある意味、毎度おなじみのものをおなじみな形で

安心しつつ見ることも楽しみなっていようかとも。

 

そういう前提で読み始めると、よく知ったシーンはさらりと通り過ぎ、

詳細に描かれるのは違った部分になりますの、いささか面を食らうところがあるかもと思うも、

赤穂藩改易にあたって逐電したとの誹りを受ける大野九郎兵衛、

討ち入り決行後に姿をくらましたとされる寺内吉右衛門、

そして赤穂事件を題材に「碁盤太平記」を送り出した近松門左衛門、

彼らの動きは内蔵助の打った後々への布石であったと、いささかネタバレかもですが、

少々紹介すれば面白い読み物であったことが伝わるのではなかろうかと思うところでありますよ。