2009年に公開された映画ですので、トランプ大統領が国境に塀と建てまわすてなことを言い出すより

何年も前の作品でしたなあ。ハリソン・フォード主演の「正義のゆくえICE特別捜査官」という一作です。

 

 

日本でも在留資格の切れた外国人に対する出入国在留在留管理庁の扱いのひどさが

このところ話題に上るようになっていますけれど、アメリカもまた…。

 

元々からしてアメリカは移民が作り上げてきた国でもありましょうけれど、

これがある程度形を持った国となってきたとき、国民という意識の芽生えがあり、

国民であるか否かで区分けることになっていったのでありましょう。

 

そもそも「国」という器には一定の利点もある反面、他者を阻害する元凶にもなるわけで、

いろいろな意味でユニバーサル化が進む現代に、「国」なるものが馴染むものであるかと

思ったりもするのでありますよ。

 

かつてよく聞かれた民族自決権という言葉には、

弱者の側から見た切なる願いといった要素が感じられたものですが、

どうもその民族自決権を振りかざして紛争が絶えないことにもなってしまっているかと思うと、

複雑な思いに駆られるところなのですよね。

 

民族ごとに自決する必要性というのは、ある民族が別の民族を排斥したり、疎外したりするからであって、

それこそが本来的に違うところでしょうと思うようになるにつけ、誰にも認められるべきというのが

高邁な発想と考えていたところから離れて、要するに民族自決権は対象療法であったのかと

思ったりするようになっていったわけです。

 

ただ、これをユニバーサル化が進む現代だからという側面だけで見るのもまた、

全ての解決にはつながらないであろうところが難しいところですなあ。

 

「国」というか「民族」というか、ある程度の枠組みの中で培ってきた文化というものがそれぞれにあって、

これの融合が新しい文化を生み出すことになる一方で、歴史的遺産の継承が無くてもいいのかとなれば、

「う~む」となってしまいもするわけで。

 

ことさらに日本文化を誇るつもりはなく、他の文化も尊重するし、日本のも独自性があっていいでしょと。

そんな中でも取り分けガラパゴス的(日本は何かとガラパゴス的ですが)である独自性ある、

日本の文化や日本の言語は、この先どうなっていくのでしょうか。あるいはどうあったらいいのでしょうか。

なにも日本に限った話ではないのですけれど。

 

ところで、これも先ごろのニュースで知ったところですが、

家族の病気見舞いでソロモン諸島から日本にやってきた方が滞在中にコロナが拡大したことで

帰国できなくなってしまったと伝えられておりましたですね。

 

パラオなども同様でしょうけれど、ソロモン諸島は島国だけに水際対策も相当以上に厳格なのでしょう、

ワクチン接種者でなければ(自国人であっても)入国できないとなっているらしく、

なんとか日本でワクチン接種ができないかと思うも、単なるビジターに回すワクチンは無いと言われてしまい…。

 

結局のところ、珍しく?地元の首長が動いたことでワクチン接種が実現したようですけれど、

(大袈裟な言葉になりますが)人道的配慮から言えば当然なことのようにも思えるこのワクチン接種が、

こう言ってはなんですが「珍しい」こととして目に映るのも、やっぽり「国」なるものがあるからなのでしょうなあ。

同時にソロモン諸島としても、やっぱり「国」という枠組みがあるので対応しにくいという…。

 

ま、コロナ対策を引き合いに出すと話はさらに大きく広がってしまうところですが、

すでにしてまとまりがなくなっている上に、「正義のゆくえ」の本筋からはすっかり離れてしまっておりますので、

映画を見たのちに思い巡らしたことなどをつらつらと、ということで取りあえず。