もうしばらく前になりますが、時代小説好きの年配の方の曰く、

女性の作家は剣戟の場面がしっくり来ないんだよなあ…てなことを言ってましたなあ。

 

映画で見られるような、要するにチャンチャンバラバラのシーンを言葉で描き出す、

こうした動きを想起させる場面を描写するのはなかなかに難しいそうなことで、

何も女性に限ったことではないように思うところですが。

 

この点に関しては、例えば戦時下といった「死と隣り合わせる空気」といいますか、

そうしたことに触れていないからと池波正太郎が言っていたこととも関係しましょうか。

もっとも池波のこの一文を目にしたときには、いささか暗澹たる気分にもなったものでしたが…。

 

とまれ、このほど読み終えた諸田玲子『女だてら』は、

確かにチャンチャンバラバラの剣戟シーンは無かったようではありますねえ。

 

 

しかし、現在において「女だてら」という言葉は使うに憚られるところでもありましょうに、

(実際に使いどこもなかろうと思うところですが)敢えて題名に登場するのは

「采蘋は女だてらに立小便」と下卑た川柳が語り伝えられるという、

江戸期の著名な漢詩人、原采蘋(はらさいひん)が主人公であるから故の敢えてでありましょう。

 

秋月黒田藩の儒学者の娘として生まれたみち(後の号として采蘋)は自らの進む道を学問に定め、

江戸に出て漢詩人として知られるようになるわけですが、大柄な体つきで大酒を飲み、剣も使う。

そんな女丈夫であることから、先の川柳ではやされるような存在になったようで。みち自身は、

そんな川柳を笑い飛ばしてやり過ごすようなタイプだったのでしょうけれど。

 

こうした実在の人物像があり、一方で秋月黒田藩にお世継ぎ問題で暗雲兆す事態があったことを絡め、

このお世継ぎ問題の解決にはみちの活躍があったのではないか、という仮説(という以上に想像)から

作り上げられた物語がこの一編なのでありました。

 

みちは秋月から江戸への道中、漢詩とともに書き綴った日記のようなものを残しているそうなのですが、

それが旅の途中でぱったりと途絶えてしまい、翌年すでに江戸に落ち着いているようすが窺えるようになるまで

杳として行方も知れず…ということになっているそうな。

 

折しもみちが所在不明となっている頃、まさに秋月藩は世継ぎ問題で大いに揺れ、

それが一定の収まりを見た頃、江戸でのみちの活動が記録に残るようになる。

この空白期間に何があったのか、世継ぎの問題にみちは関与していたのであろうか…というあたり、

実に実に想像をたくましくして作られたこの物語、なんとも創作の楽しさを感じられるところなのですよね。

 

史実に忠実に、といったことからはおよそ離れて、自由に主人公を見立て、活躍させる。

書いていて楽しくないわけがありません。

何がといって、本書はこの点がいちばんの読みどころだったようにも思ったものでありますよ。