先週放送のNHKドラマ10「半径5メートル」の第8回目は就職氷河期世代のことを扱っておりました。
「就職氷河期」とは耳にするも、その時代に当たってしまった人たちを「就職氷河期世代」と呼ぶとは…。
でも、この言葉は厚労省HPにも出てくるほどに一般化した言葉だったのですねえ。
ちなみに厚労省HPでは、「雇用環境が厳しい時期に就職活動を行い、
現在も様々な課題に直面している方々」という意味でもって使っておるようです。
ともあれ、バブル崩壊あるいはリーマン・ショックによって新卒採用の門戸が極めて狭くなった時期に、
たまたま卒業時期が重なってしまったがために、正規雇用につくことができず、
その後も前歴が正規雇用でなかったことで、やはり不安定な生活を続けざるを得なくなる。
ドラマの中では、「資格はたくさん持っているのだけどね」と言った言葉も。
いくらかでも次の就職機会に有利なようにとの思いでしょうか、
さまざまな資格の取得に励んだ結果でありましょう。されど、これもそれぞれの資格を
どう生かしてきたかという経歴無しにはあまり通用しないような。
実際にはいろいろな面がありますけれど、こうした点をひとつ見ても、
日本はどうにも人生のやり直し…というと、あたかも過去に戻ってみたいな印象にもなりますので、
人生の仕切り直しといいましょうか、それができにくい国であるような気がしますなあ。
と、こんなことを考えながら、映画「セイフヘイヴン」のことを。
状況は就職氷河期とは全く関わりないことながら、人生の仕切り直しを考えるということには
いささかのつながりもあるように思うところでして。
映画の始まりは緊迫した状況。何をしたのかは判然としないものの、
何かをしでかしてしまったと思しき女性が慌ただしく長距離バスターミナルに逃げ込む。
必死の追跡をする警察の姿からして、きっと大それた事件でもあろうかと思わせる始まりなわけです。
ですが、このミステリー的な要素は途中で主客転倒することになりますけれど、
このあたりはネタバレに通じるので割愛するといたしまして、
たまたま長距離バスの途中休憩でたどりついた海辺の小さな町、
ここに逃亡中の女性ケイティ(ジュリアン・ハフ)は当面腰を落ち着けることに。
追われていて身を隠すならば、大都市がいいのか、小さな町がいいのか、
この辺は微妙なところでしょうけれど、大都市よりも小さな町の方が人情味があるかも。
一方で、小さいだけに外来者に対して「あれは何者?」と好奇の目を向ける可能性もありますね。
ただ、あれこれアメリカ映画を見ている限りですが、
わりと「ひとそれぞれに事情があるから」と詮索せずに受け入れる例が見られはしませんでしょうか。
人生の仕切り直しの大きなポイントのひとつでありましょう。
とまれ、ケイティが町のダイナーに「働かせてほしい」と申し出れば、
おかみさんは「そりゃあ、手が足りないところではあるけれど…」と一瞬迷うも、
ケイティを雇うことにするのですよね。このあたりも人に先入観を持たない、
それが当たるも八卦、当たらぬも八卦ではあるですけれど、そんな気構えが感じられるところです。
もちろんダイナーの給仕係でたくさんの給料がもらえるわけではないでしょうけれど、
その町で暮らすにおいては取り敢えず事欠くこともない。そして、馴染むにつれて
近所との相見互いの付き合いがだんだんと始まりますから、給与という収入だけが
糧の全てを賄うものでもないのですよね。
こうした近所付き合いといいますか、だんだんとなくなってますですね。
かくいう自分自身も、近所に住まう人の顔くらいは分かりますけれど、
知るところはそれ以上でもそれ以下でもない。
それのよしあしもまた難しいところではありましょう。
よく知らない人に先入観を持たずに臨むのはなかなか難しいことで、
むしろ悪い想像はいくらでも出てきてしまったり。
こうした傾向が、最初のところの話と絡めれば、採用面接でも
「この面接に臨む以前は(定職にもつかず)いったい何をやっていたのだろう」ということを
懐疑的に見てしまうことにもなるのかも。資格を持っていることにしてもそれを前向きにとらえて、
これからその資格を活かして働いてもらおうと前向きに見るよりも、
使ったことのない資格では本当に活かせるのかわからないというふうにも考えてしまうのでしょうかね。
「人を見たら泥棒と思え」と聞いて、常にそうだそうだと思うわけでもありませんですが、
メールを開けばフィッシング詐欺だの、電話をとれば振り込め詐欺だのと騒がしい世の中。
ついつい疑う方にばかり気が行ってしまうのも止む無しでしょうか。
どうしてこんな世の中になってしまったのでありましょうかねえ…。