武蔵府中あたりをぶらりとした折り、通りすがりに府中市立中央図書館にもちと立ち寄って。

居住市と近隣市で図書館の相互利用が可能になっておりまして、

差し当たり国立、立川、国分寺、府中と4市の市立図書館が使える状況だものですから。

 

何しろ府中市は財政的優位であるが故に図書館の蔵書も豊富なのですな。

ひとえに東京競馬場があるおかげかとも思うところながら、

東芝府中もNECもサントリーもあって、たんと法人税も入ることでしょう。

 

と、それはともかくせっかく通りすがったので何か借り出してと思ったわけですが、

先の4市はいずれも自転車圏内ではあるものの、分けても府中市の図書館はいささか遠い。

借りるはいいとして返しに来るのがまたひと仕事になってしまいますので、

軽く(実重量も内容も?)新書を1冊、手に取ったのでありましたよ。

 

そんな新書もあったのかと思う「じっぴコンパクト新書」(じっぴは実業之日本社でしょう)から

『都バスの不思議と謎』という、その場しのぎの一冊です。

 

 

世に鉄道ファンは数多く、先ごろも特別な車両を撮影せんと

撮り鉄同士がトラブルを起こしたと報じられたりもしましたですが、

何かと目立つ存在である鉄道ファン。これに比して、

地味にバスのファンというのもいることはいるのでしょうなあ。

 

都バスにまつわるあんなことこんなこと、ふ~んと思いつつ読んでおりましたけれど、

何やら思い出すのは昔のことばかりのようでありましたですよ。

 

そも都バスの拡充は都電の廃止を補う形でとも受け止めておりました。

葛西橋~錦糸堀(江東区・墨田区間)を結んでいた都電が廃止されるその日、

花電車が走っていく姿を間近で見ていた者としては、何とも身近なことでもあったわけです。

 

さりながら歴史的な背景をも少したどりますと、都バスのそもそもは

関東大震災で壊滅状態となった都電(当時は東京市電でしょうか)の路線網の

代替として暫定導入されたということなのですなあ。

 

ですので、いざ路面電車の機能が復活したとなればバスは廃止の予定であったと。

しかし、ほぼ路面電車の路線をなぞるとはいえ、電車には専用軌道だった部分もあり、

そのままバス路線とイコールではなかったこともあり、廃止に待ったがかかったそうな。

 

路面電車優位で進んでいたものが併存することになり、

やがてバスを含めた車によって駆逐されることになろうとは、

都電よあわれと言いたくもなりましょうかね。

 

ところで、都バスの話で思い出すことなど…ですけれど、

都内に住まってわりと最寄りに鉄道駅が無い場所が長かったものですから、

自ずとバス頼みだったところがありまして。

 

記憶する限りで最も早い段階でお世話になったのが、足立区に住まっている頃のこと。

東武線西新井駅と国鉄(当時)の池袋駅を結ぶ区間でして、

途中王子駅を経由する長い路線でありました。

 

今でも「王40」として走っていますけれど、思い切り昭和な時代だけに

このバスに乗って池袋に出、丸物デパート(後のパルコの場所)のお好み食堂に寄るのが

最高に贅沢な瞬間でありましたよ。

池袋駅前にはまだたくさんのトロリーバスが走っておりましたなあ。

 

その後の転居で江東区へと移りましたが、ひっこした頃は

まだ営団地下鉄(現在の東京メトロ)東西線が中野~東陽町の区間しか開業しておらず、

どこかへ出かけるには都バスで国鉄の亀戸駅か錦糸町駅へ出るというのが

最寄り駅への移動手段でありました。

 

ただ、別路線でやはり長めの距離を走っている秋葉原駅行きと

東京駅丸の内南口行きにはずいぶんとお世話になりましたなあ。

前者は電気街にあって巨大な品揃えのあるレコードショップへ、

後者はかつて東銀座の手前にあった松竹セントラルという映画館通いでもって。

この映画館で最初に見た映画はアカデミー作品賞を受賞した「スティング」だったことを

よおく覚えておりますよ。

 

さらにその後、杉並区の阿佐谷に住まっている頃には、

これまた長めの路線で渋谷駅行きの使い勝手がよかったなと。

鉄道駅よりも近いところにバス停があったもののですから、多少の渋滞、なんのその。

今では「奥渋」なんつうふうにも呼ばれるらしい、渋谷の奥座敷的な裏側から

のんびりアプローチしたものです。

 

が、今やすっかり都バスはご無沙汰ですな。

何しろ東京都内ながら多摩地区にはおよそ都バスが走っていない。

西武、京王、小田急など私鉄系のバス会社による運行がほとんどだものですから。

 

ということで、都バスの話はノスタルジーに溢れるものばかりになってしまい…。

しかも、およそ『都バスの不思議と謎』の話には触れず仕舞いでしたなあ(笑)。