しかしまあ、よく似た話があったもので、リメイクなのではなかろうかと思ってしまいましたですよ。
先に見たフランス映画の「オーケストラ・クラス」と果たしてどちらが先とも思えたのが、
ブラジル映画「ストリート・オーケストラ」なのでありました。
「オーケストラ・クラス」が2017年、「ストリート・オーケストラ」が2015年の作品となれば、
やっぱり前者は後者の影響を受けておりましょうなあ。
スラムの子供たち、といってもフランスのが小学生であったのに対して、こちらは高校生で
しかもその場の環境はすでに彼らが小遣い稼ぎかそれ以上に生活するために
麻薬の売人の手先になっていたりする分、深刻な状況にある中で、
音楽教育を通して道を踏み誤りを正そうという試みがブラジルにもあったのですなあ。
こうした生徒側の状況とともに、そこに教えに入る音楽教師というのが挫折したヴァイオリニストであり、
その眼鏡に適う秀でた腕を持つ生徒がひとりおり、それを中心にアンサンブルが組み立てられる点も
先の映画と同様…ながら、この中心メンバーとなる生徒は交通事故で亡くなってしまう。
これを受けて、亡くなったサミュエルの友だちであったVR(これ、一応名前のようです)が、
仲間内では少年院帰りと最もスラムの裏社会に近い、そんな存在ではありながら、
サミュエルに代わって楽団の中心メンバーになっていくのですな。
「自分の中に魔が潜んでいるけれども、ヴァイオリンを弾いているときだけは姿をひそめる」てな心のうちを
VRから伝え聞いた音楽教師ラエルテも、最初はその気のない生徒たちに音楽を教える気にもなれずにいるも
(このあたりも、やっぱり「オーケストラ・クラス」と同じ状況ですな。くどいですが、ことごとに似ており…)
だんだんと音楽の「力」を信じて、生徒たちに伝えようとし始めるという。
上のフライヤーを見ますと、屋外で輪になって練習する姿から、
ブラジルのスラムだけに練習場も与えられず、だから「ストリート・オーケストラ」なのだねと
早や合点してしまいそうですけれど、実はこの写真の場面は敢えて楽器を持って外に出、
自由に体を動かしながら楽しんで弾くことに気付かせるための特別なシーンでして、
普段はちゃあんと教室内で練習しているのでありますよ。
ですので、「ストリート・オーケストラ」という邦題はちと誤解を生むことになるかもです。
もっとも英語タイトルも「The Violin Teacher」と、いささか付けあぐねた印象がありますですね。
ちなみに原題は「TUDO QUE APRENDEMOS JUNTOS」であると。
ポルトガル語は「オブリガード」くらいしかわかりませんので、
Web翻訳ツールが適切に訳しているという前提で「私たちが一緒に学んだすべて」という意味らしい。
教師のラエルテも、VRをはじめ生徒の側も、共に音楽を通じて学んだことがあるわけですから、
教師、生徒のワンサイドに偏らないタイトル付けはけだし適切というべきでありましょうかね。
やがてこのスラムで出来た楽団はヘリオポリス交響楽団という学生オーケストラとなって
広く認知されるようになっていったということですけれど、音楽を通じた学び、気付き、
これは先の「オーケストラ・クラス」やこの「ストリート・オーケストラ」で成功事例が語られるも、
あくまで成功事例であって一事が万事、うまくいくわけではないでしょうなあ。
かといって、うまくいかないことがあるからと否定するのでは全くありませんですが、
受け止める側としては一時が万事の捉え方をしては現実を見誤るとは
思いを致しておく必要があるように思えたものでありますよ。