NHK土曜時代ドラマ「立花登青春手控え」の第3シーズンが始まりましたですなあ。
伝馬町の牢屋敷で獄医を務める若者を主人公としておりますが、
何かと事件解決に携わってはお得意の柔術で危機を乗り切っておりまして、
設定では起倒流柔術の道場に通っていることになっているわけで。
起倒流柔術は後に嘉納治五郎が学び、その後の柔道へとつながっていくわけですけれど、
江戸期、武士のたしなみは剣術に限るものでなく、柔術にも取り組んでいたようす。
新選組の近藤、土方、沖田、井上らが修業した天然理心流はそも剣術に加えて、
柔術も棒術も含めたものであったそうなのでありますよ。
と、こういう展開で話を始めておきながら、
ここから先は時代ドラマの話でも新選組の話でもない方向に向かいます。
ともあれ土曜時代ドラマの主人公のように、江戸時代の牢獄にも医者はいたのに…というのが話の発端でして。
ちょいと前にこんな記事を書いておりましたな。
このときには在留許可が取り消されて入管の施設に収容された女性が
満足な医療も受けらないままに亡くなったという新聞記事に接して「うむむ…」と思ったわけですが、
実はこの女性の例は氷山の一角でしかなかったのですなあ。
前回放送のETV特集「エリザベス この世界に愛を」を見て、いまさらながらに気付かされたのでありますよ。
タイトルからはどんなことを取り上げているのか皆目見当のつかないところではありますけれど、
NHKオフィシャルサイトの紹介ページではこのようにありましたな。
「愛しているよ!」入管施設に収容中の外国人に呼びかける女性がいる。ナイジェリア人のエリザベス。毎日のように入管施設を訪れて面会を重ね、被収容者たちの声に耳を傾けてきた。先が見えない不安を訴える人、抗議のハンストを始める人、ついには命を落とす人も。1年半にわたって活動を追い見えてきた厳しい現実とは。彼女自身が抱える深い苦悩とは。入管法改正は運命をどう変えるのか。国会審議が注目される中の緊急再放送!
このエリザベスさん自身、入管施設に2度収容された経験があり、今も仮放免という状況であるとか。
刑務所ではないので仮釈放とは言いませんけれど、実際には仮釈放よりも制限があるような気がしますですね。
何しろ仮釈放の方にはまだ社会復帰へ向けた道筋が(細いかもしれないですが)ありましょうところが、
仮放免は相変わらず在留許可がない状態、つまり本来は日本国内に留まっていてはいけない前提ですので、
働くことができないわけです。いったいどうやって生きていけというのでしょうかね…。
わずかながらの金銭的支援はあくまで早く日本を出るための準備用ということかもしれませんですが、
そもそも在留延長が認められないとなれば帰国せよとなるものの、それが何らかの理由があって帰国できない、
例えば帰国すると身の危険に晒されるとかいうことがあって、帰国しないなら施設収容されると分かっていても
日本に留まる、留まらざるを得ないという人たちには、何とかそのわずかなもので日本での暮らしを立てて
いかなくてはならないことになるのですなあ。
在留許可が無い状態で日本に留まっていることは、法律的には不法在留、不法滞在ということになり、
何かしら悪いことでもやっているのではないか…的な考えも出てきがちではあろうかと。
確かにそういう人たちがいないとは断言できませんけれど、
だからといって刑務所においてさえ…と考えるのは比較として適当ではないとしても、つい考えてしまいます。
この取り分け外国人の方々を見る目というのは(どうやら日本をこじ開けた欧米にはいささか異なるとしても)
日本という島国のガラパゴス感を思ったりもするところではなかろうかと。
外来のものに畏怖(時に畏まり、時に怖れる)の姿勢は、やはり島国気質の名残といいましょうか、
そんな気がしてきたりもします。
さらに「国」のありようを考えて、かつて「日本は単一民族の国だから」てなことが言われましたように
(「民族」をどう考えるかは難しいですけれど、本当のところは違うと言っていいような)
そうした考え方が根深くあるようにも。さすれば、入管で起こっていることは現代の攘夷か?と、
また必ずしも適切な例えではないながらも考えてしまうところなのですね。
「国」という枠組みは(何度もの繰り返しにはなりますが)それが有効であった時代もあり、
今でもそういう局面は無きにしもあらずとは思いますが、こと日本は難民認定が難しいといったあたりで
「国」という枠組みをどう考えるが問われてくるように思うところです。
在留許可が取り消された人、入管施設に収容されている人といった面はあったも、
そこにいるのは皆一様に「ヒト」であって、生きる術を奪うのがいいこととはとても思えない。
法律で決まっているからとはいえ、法律も「国」の枠組みという制度の中から生まれてきたもので、
その根っこまで遡って考えることも必要でありましょう。
とまあ、多分に評論家目線の物言いではありますけれど、そんな思いを強くしたものなのでありました。