NHK「ドラマ10」の新シリーズは「半径5メートル」という、芳根京子演じる雑誌編集者が主人公のお話ですが、

第1話は「おでんおじさん」、ひと頃世間を騒がせた?ポテトサラダ騒動をおでんに置き換えたものでしょう。

 

と、ここでポテサラ騒動転じたおでん騒動のフォーカスするつもりはありませんで、

この回のお話から感じられた「どうも男は見栄をはりたがるものであるな…」ということの方なのですなあ。

 

最近は「男らしく」とか「女らしく」とかいう言葉は忌み言葉ともなっているわけですが、

相も変わらず男の人は「かくあらねば」みたいな意識を多分に秘めているところがありそうです。

(年齢が下がるにつれ、どういうふうに考えているかは分かりませんけれど)

 

話の中でおでんおじさんのことをツイートした女性の夫は、「一家の主たるもの」的な意識が強そうなのですが、

これの背景に「一家の主たるもの」=「ちゃんと女房子供に食わせなければならん」という意識でもあろうかと

思いますけれど、実はこの夫、毎日会社に出かけるようでいて、途中でスーツから作業着に着替えて

やっている仕事はウー〇ーイーツのような自転車での宅配業務なのですな。

いわゆる定職とはいえないであろうアルバイトの類いです。

 

どうしてそういう境遇にあるかは詳らかでないものの、そうした日常はひた隠しているわけですが、

とてもそんな状態であることを奥さんにも子どもにも言えなくて、それでもなんとかやりくりしているという一点で

生きられている人なのではと思うところです。

 

「俺がこんなに苦労しているのも知らないで」と思っても、とても正直には言えない。

それが毎日の買物のレシートを見せろなんつう行為になって表れてしまっているのでもあろうかと。

自分の見栄のために、家庭内の状況を極めて悪くしていることに気付けないのですなあ。

 

と、そんなことを思っているうちに、先日見た映画「幸せのバランス」を思い出したのでありますよ。

かつて新聞の映画評で「イタリアの労働者の貧困」、ワーキングプアをテーマにした映画てなふうに

紹介されていたところから、「いつか見よう映画」リスト入りしていたものでありました。

 

 

たしかに「働けど働けどなお我がくらし楽にならざりじっと手を見る」状態に陥る男性を描いてますが、

先の映画評はちと視点の据えどころが「貧困」の方に偏りすぎなのではなかろうかと。

結局のところ、こちらのお話も男の見栄による破綻なわけですから。

 

自らの浮気で妻との関係がぎくしゃくしたあまり、自ら家を出ることにしたジュリオは

それまでと同様に家族の生活を支えながら、自らのひとり暮らしの生活費を捻出しなければならくなりますが、

すでにかつかつであった家計にジュリオ自身の生活を賄う余裕はなく、

あやしげなアルバイトなどにも手を出すことに。それでも結局、車上生活をする羽目に陥るわけです。

 

家を出たジュリオがこうした生活に立ち至っていることを家族は知らない。

もちろんジュリオが何も言わないからですが、どうしてこうなってしまうのだろう…と思うばかりなのですよね。

 

最初のところから男の見栄という話でばかり来てしまいましたですが、

ジュリオの場合、もはや路面電車に身投げして…というところまで思い詰める以前に、

それでも家族にその時の状況を何一つ話さないというのが理解しにくいように思いつつも、

ここまで書いてきてようやく「ああ、負のスパイラルに陥っておるのか…」と思い至った次第。

 

追いつめられた精神状態では、物事は悪い方へ悪い方へと転がってしまう。

自らの選択からして悪い方へと転がしてしまうといった方がいいかもしれませんですね。

ただ、そこまで行ってしまう前の踏みとどまりを阻害しているのがもまた見栄であったりして…。

 

ともあれ、傍目で見て「ああすれば、こうすれば」という冷静さを保っていられる精神状態でなくなることもあると、

遅まきながらも気付けたことは何よりなのでありました。