Aさん:「睡眠時間ってもったいないよね」
Bさん:「7~8時間…、5~6時間、ほかのことに使えるのに…」
通勤電車の中で耳にした女子高校生ふたりの会話ですけれど、
前後の話も併せるとおそらくはこの春で高3になるのでしょうか、受験を控えているような。
そんな中で、Bさんはあたかも自分が言ったことで
「ふだんは7~8時間も寝ている」と受け取られたくなかったのか、
一瞬の間を置いて「5~6時間」と言い直している。
まあ、受験を控える身としてはそのくらいの睡眠時間であると言っておけばよかろうてなことかも。
この「受験生ブルース」的なる言い直しにはついつい笑ってしまうところでしたが、
昨今はマスクという表情隠しの武器がありますから、変な人と見られずにすんだような…。
ところで、「受験生ブルース」という歌はもっぱら高石ともやの曲として知られておりますが、
もともとは作詞の中川五郎が、ボブ・ディランの「ノース・カントリー・ブルース」のメロディーにのせた
替え歌として作ったものなのですなあ。
昔、FM放送の番組で、中川が作った本来の「受験生ブルース」を聞いたですが、
その後に高石が付けたいささかコミカルな曲調とは裏腹に、
なんとも翳りのある「受験生ブルース」でありましたですよ。
中川版、高石版のどちらが馴染むかは受験期の思い出により人それぞれでしょう。
と、実はそういう話をしたいのではなくして、「睡眠時間」のお話なのでありますよ。
睡眠時間は本当にもったいない時間なのであろうかいね…と。
まあ、先の高校生たちも本気で言っているわけではないと思いますので、
そうしたことに食いつくのもどうかと思いますけれど、このあたりのことも思い巡らし方によっては
常々考える「足るを知る」と関わることにもなろうかと思ってものですから。
つまり、睡眠の必要がなく休みなく活動することができるとしたら、
何事につけ足るを知るという感覚は育ちえないのかもしれませんですね。もっともっとがまかり通るわけで。
ヒトを作ったのが神様だとは思いませんけれど、ある意味、実によくできている。
動くことには休むことが必要で、逆に休んでばかりでは反って都合が悪い。
そんなふうにできているわけです。
昔から永久機関の開発は人間の夢のようなところがありますし、
ましてやそれが人体であったならと思うこともありましょう、不老不死とか不眠不休とか。
ですが、それができていたとしたら、ヒトはとうに地球を食い尽くしていたかもしれませんものね。
それでなくても、大変なのに。
とまあ、そんなことを考えたりもした通勤電車の車中でありましたよ。