このところTV番組からの話が多くなってしまって、しかも例によって周回遅れもいいところでして(笑)。
これも、出かけることがいかに少なくなった…ということの結果でもありましょうかね。
と、それはともかくとして、日本の古典芸能にも些かの関心を寄せつつあるところながら、
(何度も言うようですが)「能」はなかなかに敷居が高いといいますか…。
それでも前々回でしたか、ちょいと前のEテレ「にっぽんの芸能」を見ているときに、
ほんのわずかながら糸口が感じられた気もして、その後につらつら考えていたのでありますよ。
「幻の能“篁”復曲〜よみがえる執心の鬼〜」 と銘打った放送回では
能「葵上」を古い演出を再現して、また中世以来上演機会が途絶えていたという「篁」を復活上演するという試み、
予て「能」のお話には怨霊やら鬼やらといった得体のしれないものが登場すると思っていたわけですが、
能といって即座に思い浮かぶ観阿弥、世阿弥の時代、要するに室町時代あたりでも、
人は目に見えないものへの恐れに姿かたちを与えていたのであるなと思うところです。
今でこそ怨霊も鬼も想像の世界のものとして片づけられますけれど、
(と、根っからの怖がりの言葉とも思われませんが…笑)
そんな今でもコロナ騒ぎの昨今には何やらのあやかしが跋扈しているように思いたくもなりましょうから、
平安、鎌倉、室町、そしてその後もですが、当時の人たちが百鬼夜行を思い描くのも無理からぬことでしょうかね。
そうした時代背景であることに思いを致せば、能の物語に毎度毎度怨霊やら鬼やらが登場するも
それだけその存在を身近に意識していたということなのでしょう。
そして、能の場合にはその怨霊だったり、鬼だったりの正体は人の妄執だったりするという、
実はある意味、きわめて現実的な人間洞察の結果として生まれたものなのかもしれませんですね。
ところで、復活上演された「篁」ですけれど、隠岐に流された後鳥羽院の不遇を慰めるべく、
かつては北面の武士であったらしい人物が隠岐への渡し舟を探すというところから始まるのですな。
うまいことを翁が舟を出してくれるわけですけれど、この翁が実は小野篁であると。
そも小野篁は平安初期の人物で、後鳥羽院が隠岐配流となる鎌倉の世に生きているはずもないのですが、、
篁自身、隠岐へ流されたことがあるというつながり、そして百人一首にある篁の歌が
「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」であるところから、
物語では隠岐へと渡す釣り舟の翁として小野篁(の異形)を持ってきたのでありましょう。
こうした結び付けが物語を紡ぎ出すヒントになるあたり、今も昔も変わらない発想なのだなと思いましたし、
むしろ今でも考えそうな発想でもって劇作に取り組んでいたことが新鮮にも思えたものです。
さりながら、この演目が埋もれてしまったのはむしろ話の仕立てが新しすぎたかもしれんとも思ったり。
先にこうした話の作りを「今も昔も」と言ってしまいましたですが、昔の作品系列の中では
「篁」の尋常ならざる時空の飛び越え方が異彩を放っていたのかもしれませんですね。
ただ、「もしも」を言っても詮無い歴史を考えるときに、思いがけない結び付けはなかなかに面白い想像でして、
こんな枠組みを意識した劇作を試みるのも楽しかろうなあと思ったり。
もっとも、自ら何かしらの劇作をするつもりがあるわけでもないのですけれど。