何ごとも隠れた仕事といいますか、一般には脚光の浴びにくい領域があるものですねえ。

先週のEテレ「ドキュランドへようこそ」は「弓職人-究極の音を探し求めて-」というもの、

ひたすらに弦楽器の弓作りを専門にする職人をクローズアップしておりましたよ

 

例えばヴァイオリンの名器として知られるのは、ストラディヴァリウスであり、グァルネリであり、

アマティやガダニーニなどでもありましょうか。これ全て、ヴァイオリン本体のことですなあ。

 

では弓は誰が作っているのか…とは考えたこともなかったですが、

弓には弓の専門職人がいたとは知らない、というより認識しておりませなんだ。

 

番組の冒頭では(ヴァイオリン協奏曲が20数曲ある)ヴィオッティが弓の大事さを語るひと言を

紹介しておりましたけれど、今の、いわゆるモダン楽器で使われている外に緩やかに湾曲した弓は

このヴィオッティと弓職人のトゥルテとで生み出したもののようで。

 

確かに古楽器の演奏では、もっぱら山なりカーブのある弓が使われておりますが、

この形よりはえびぞっている形の方が馬のしっぽの毛(だったかな)の張りがいいことでしょうなあ…とは、

素人の見立てですが。

 

さりながら、ヴァイオリン演奏で弓の持つ役割の大きさ評して、

ヴァイオリン本体はステージ、弓はステージの上で舞い、跳ねるバレリーナのようなものという言葉が

これまた番組の中で紹介されていましたですが、弓の動きを擬人化して表現するというのみならず、

むしろ本体より弓の方が主役というくらいの言いよう、こうした捉え方もあるわけでして。

 

弓の躍動感からすればこの例えにも頷けはしますけれど、こと音が勝負の世界ですので、

ヴァイオリン本体は(音のいい)ホール、弓はそこでの演奏者とでもなりましょうか。

いかにホールを響かせるかは演奏者(弓)次第ということで。

 

まあ、弓を使わず指で弾いて音を出す奏法もありますけれど、

ヴァイオリンの本来はやはり弓で弦を擦って音を出す、

つまり弓が無ければ音のないホールと同じですものねえ。

 

とまれ、気付かされてみればかほどに重要な弓であるだけに、

その職人もさまざまにこだわりがあるようでして、まず素材はパウ・ブラジルという木を使うそうな。

この木があったからブラジルという国の名が付けられたというものらしいのですが、非常に稀少とか。

 

それを手作業で磨きに磨いていくわけですが、丹精込めた弓にどんな効果があるのかと思うと、

試奏した演奏家に「自分の楽器からこんな音が出せたのか?!」と言わしめるほどとは、

全くもって奥の深いことでありますなあ。

 

以前、やはり何かのドキュメンタリーだったでしょうか、

ピアノのハンマーに巻くフェルトの専門業者が紹介されて、その部分をとっては他の追随を許さないくらいに

ピアノメーカーや演奏家からも信頼されていると。ピアノとして出来上がったものだけを考えると、

これまた単純に大きなメーカーが作ったものとしか思わないわけですが、部分部分に特化して、

優れた技の冴えを見せている職人たちが大勢いるとは、弓職人もまたしかりです。

 

小さな工場だったりすると、ようするに零細企業、中小企業と「要するに大きくなれない」ものと、

大きいことはいいことだ的感覚に流れるのは、資本主義にしっかり毒されてもいるのでしょうか。

 

大きな企業は組織力に物言わせて、何から何まで自社で作り出せるかもしれませんが、

部分部分を見ればやはり「餅は餅屋」という世界が実際にもたくさんありましょう。

 

ここまでくると「下町ロケット」を思い出したりもしますけれど、

大きいことでのスケールメリット、すなわち効率の良さの追求は一概に悪くはないとしても、

そればかりがありようではなかろうと。弓職人の話からたどりついたのはこんな思いでありましたよ。