先日は久しぶりにクスコのシンセサイザー音楽を聴いておったわけですけれど、

実は手持ちのクスコのCDにはもう一枚ありまして、先の2枚はリゾート感あふれるカバー写真で、

世界リゾート紀行の雰囲気(少なくともジャケットを見る限り)があったところながら、

残りの一枚はこんなふう、もはや地球を飛び出して宇宙旅行ですか?!という。

 

 

ところが、これまたジャケ写と裏腹な音楽を聴くことにもなり、取り分け7曲目の「しし座」では

土俗的とでもいいますか、日本の郷土色を感じさせる「姫神せんせいしょん」を思い出させるところがありまして。

そこで、すでにシンセサイザーによる音楽というだけでも、とうに思い出してはいたところながら改めて、

シンセサイザーを使う日本のユニット「姫神せんせいしょん」のCDをやっぱり取り出してみたり…。

 

 

こちらは「姫神SPECIAL」というベスト盤で、すでに「姫神せんせんしょん」というグループは解消され、

「姫神」というソロ・ユニットになった後の曲も交じっておりますけれど、

いずれにも心を揺るがせる曲がありますなあ。

 

もちろんシンセサイザーという機械音でありながら、纏綿たる情緒を紡ぐものであって、

その点ではノリノリのリズム感ながら単調な作りの音楽とは違った滋味深さがありますね。

 

メロディーの揺らぎと感じるあたり、Wikipediaにはこんな説明となって表れておりますなあ。

曰く「こぶし(メリスマ)を織り込んだメロディーラインが大きな特徴」と。

 

「こぶし」と聞くと「演歌か?!」と思ってしまうところながら、

やはりWikipediaの「メリスマ」の項に「民族音楽でも自然に(つまり霊的な恍惚感を意識せずに)

メリスマが利用される例があ」るとされているのを見れば、姫神の音楽とのつながりをイメージしやすくなりますね。

 

4曲目に出てくる「姫神せんせいしょん」時代の曲である「行秋」は、

ファーストアルバム「奥の細道」にされたもの。アルバム・タイトルに影響されたわけではありませんが、

それでも東北地方はもとより、日本の地方風土を思い馳せて、懐かしみを覚えざるを得ない、そんな曲でして。

 

と言いつつも、アルバム「奥の細道」のジャケット画には大きく土星らしき環を持つ星が描かれている。

先に見たクスコの「Planet Voyage」との共通性も感じさせる、このシンセサイザー・プレイヤーの思いは

距離感にせよ、時間軸にせよ、悠久なるところとつながっているのでもありましょうかね。

こうした印象は、やはりシンセサイザーによる音楽で「シルクロード」の悠久を奏でた喜多郎をも思い出すところです。

 

とまれ、新しいと思っていたシンセサイザーもいつしか当たり前のものとなり、

また楽器としての使い方も進化して、いかにも機械的な音でるというよりも確かなサウンドとして定着すると、

音楽のありようも変わったというか、ひと皮むけた感じがしたものです。

 

その後の「姫神」によるアルバム「雪譜」は、さまざまな種類の曲の寄せ集めでなくて

トータルアルバムとしてよくできたひとつの作品であるような。

 

 

褒め過ぎかもしれませんが、ひとつの芸術作品を聴くつもりで耳を傾けたい一枚なのですよね。

ですが、かつての土俗性は鳴りを潜めてしまい、個人的にはいささか残念な気もするわけですが、

なかなかに行動の自由を抑制しがちな昨今にあって、、距離感にしても時間軸にしても、

束の間、悠久に身を委ねたひとときとはなったのでありました。