ある意味、映画らしい映画とも言えましょうか、映画「マーウェン」を見た印象でありますよ。
ちょいと前に、映画なら映画ならではフォーマットを活かして云々…てなことも申したですが、
これはそのとき思い浮かべた「映画ならでは」とは異なるようにも思うところながら、
考えてみればこういうのが昨今の「映画ならでは」なのかなとも思ったりしつつ。
「シネマトゥデイ」によるあらすじはこんなふうです。
マーク・ホーガンキャンプ(スティーヴ・カレル)は、5人の男に暴行され、9日間の昏睡状態から目覚めたときには自分の名前がわからず、満足に歩くこともできなくなっていた。脳の障害とPTSDを負ってセラピーを受けられないマークは、リハビリのためにフィギュアの撮影を始める。自宅の庭に第2次世界大戦時の村という設定のミニチュアを作って撮ったフィギュアの写真が評価されるようになり、やがてマークは暴行事件の裁判で証言することを決める。
まあ、これではさっぱり?!というところもありましょうけれど、例によって?実話ベースのこの話、
ヘイトクライムを扱ってもいるわけですが、ヘイトスピーチとはよく聞くところながら、
まだまだヘイトクライムという言葉まで日本では一般化していないような。
その点では、アメリカの現実を知る映画でもありましょうかね。
実際の暴行事件の発生は2000年だそうですから、すでに20年も経ってはおりますが。
あらすじには主人公マークがなぜ暴行され、それをヘイトクライムと呼んでいるのか、
そのあたりが示されてはおりませんけれど、どうやらこの方、女性向けの高いヒールの靴を愛してやまないよう。
そこで、そういう靴を履いて出歩くこともあるようですが(ちなみに靴だけですので、女装するわけではない)
そうしたことをヘイトする者たちがマークの嗜好を嘲り、挙句に暴行に及んだ…という次第。
世の中にはいろいろな考え方の人がいますし、いろいろな趣味嗜好の人たちがおりますね。
基本的には何を考えようと、何が好きであろうと、いわば個人の勝手ではあるわけですが、
社会規範に照らして、というより法律に照らして違背するところが無ければ
他人にとやかく言われるところではないのでしょう。マークのヒール好みもその範疇で。
ですが、当てる物差しを個々の好き嫌いにしてしまうと、好みに合わないと思えることはたくさんありまして、
だからといってそれを暴力でもって強制的に排除しようというのはやはり間違っておりましょう。
てなことを、あえて言うまでもありませんけれど。
とまあ、根っこのところにそうした問題を置きつつも、この映画の作りは至ってファンタジーっぽい。
監督がロバート・ゼメキスだと聞けば、今でも「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を思い出してしまう者としては
(この映画の中にも明らかに「BTTF」を想起させるシーンが入っておりますしね)
「ゼメキスらしいなあ」という作りになっているのでありますよ。
で、映画らしさの話ですけれど、
あらすじにもありますようにフィギュアを使った写真撮影で個展を開くほどだったりするマーク、
その本人の現実のようすと撮影に使うフィギュアの仮想世界が交錯するのですよね、途切れなく。
(フィギュアの顔立ちもリアルな登場人物たちと非常に似ておりますしね)
このあたりの特撮的なところは、技術的にはなにも「映画」ということでなくしても可能なのだろうと思うものの、
作り込むほどにお金が掛かるわけでして、そのお金のかかることを実現してしまうのもまた「映画」であろうかと。
TVではよほどの予算を一作につぎ込むとすれば、なんらかの記念作みたいなものでしょうでしょうけれど、
映画の場合にはそのだけのための資金集めがあって成り立っておりましょうから、
これだけかけてそれだけかける甲斐のある映画を作るのだという同意(?)があれば、
使いようのある資金(まあ、集める苦労はありましょうが)がそこにあるということになるわけで。
まあ、昔から低予算映画というのもありますから、ここで触れた構図こそが「映画」とは言いませんですが、
これもまたひとつの映画らしいところであろうと思ったような次第です。と、映画としては
スティーヴ・カレルが比較的押さえた演技(でないとまるっきりのコメディになってしまいます…)で、
楽しめましたですよ。