寒い季節になって、通勤途上、自転車で最寄り駅まで向かう道々で
「ああ、手袋が片方だけ落ちてる…」てなことを見かけたことが何度かありますなあ。
やおら路上に手袋が片方だけ落ちているのに遭遇し、
「いったいどういう状況で、こうした結果が生じたものか」と実は毎度考えあぐねていたのですね。
移動途中で、ポケットに入れていた片方だけが落ちてしまって気付かずに…といった
状況でもあろうかと思うも、そも寒いから手袋をしてくるわけで、
ポケットに入れてあったものを落とすとはどうにも考えにくいような気がしておりました。
ですが、このほど帰宅してふと気付くと「おや、手袋が片方無い」という事態に。
かばんの中に入れたはずで、確かに片方はかばんから取り出したのですが、もう片方が消えてしまった…。
そこで、家を出てから戻るまでをトレースして、
手袋をどんなふうに扱ったか、思い出してみることにしたわけです。
朝、家を出るときは自転車に乗るのに手がかじかむので手袋をした。もちろん両手ですね。
駅の駐輪場について手袋を外し、かばんの中に入れた。当然、両手分です。
そして、そのまま日中歩き回って帰宅するまで、手袋には触れていないので、
その間に片方だけが消失してしまったとは、「消えた巨人軍」ならぬ「消えた手袋」…。
さらによくよく記憶をたどれば、手袋自体をどうこうしてはいないものの、
かばんを開け閉めしたことが一度あったことに思い当たったのですな。
昼食で店に入った折、見た目にも馴染みの薄い料理の写真を撮ったとき。
この日はたまたまカメラを持ち歩いておりましたので、それをかばんから取り出した際です。
テーブルについて足元に置いたかばんを持ち上げることなく、がさごそやってカメラを取り出したときに
知らない間に手袋の片方だけがこぼれ落ちてしまっていたのでしょうなあ。
といいますのも、「もしかしたら…」とかけた電話に店の人から「ありました」という答えがかえってきたものですから。
…とまあ、自らの失敗話を事細かに記しておりますけれど、最初のところで触れましたように
「なんでこんなところに手袋を片方だけ落としてしまうかなあ」とこれまで考えたときには
ともすると「こんなところで落とすっていったい何やってたんだろう。あり得ないよなあ」くらいの受け止め方であったかと。
さりながら、いざ自らが(路上でではないにせよ)手袋を片方だけ落とすということを経験しますと、
「ああ、片方だけ落とすということもあるのだな…」と思い、その理由はさまざまであろうとも、
今さらながらかような理解に到達したのでありました。
他人のことをとやかく言ってしまうときに(実際に口には出さないまでも、考えることはしてしまいますが)、
そこにどんな理由があってそんなことになっているのか、にまで思い至ることがないと言いますか、
さほどに想像を展開することがなかったわけで、要するに想像力をいささか欠いておったのだなと思い至ったわけで。
常々、「おもてなし」なんつうことより先に「思いやり」だろうよ…などと思っていながら、
その実、「思いやり」の前提には他人の状況を考えるという意味での想像力が必要なはずなのですけれど、
恥ずかしながら自らがこれを欠いていたと思い知ったのでありますよ。
手袋を片方落とすことでもって、そんなことに気付かされたものなのでありました。
と、反省話ついでのおまけとしまして、
手袋を落とす原因となった料理の写真、これをあげてみましょかね。こんなのです。
前菜の5点盛りなのですけれど、
前菜というのはこれから来るメインに向けて食の楽しみの導火線くらいの役どころで、
いろんな味わいがちょこっとずつあるものと思ってましたが、ここでは違ったようで。
これにパンが付いてくれば、ランチとしてはそれでもう十分てなものでなのでありましたよ。
ちなみに右上の、あたかもデザートのケーキのように見えるものは、
「毛皮のコートを着たニシン」と呼ばれておるのだとか。
ビーツの赤の上にマヨネーズ(とサワークリームをあえたか)ソースがかかった見た目からも
「なかなかやるじゃないの、ロシア料理」と思うところすが、これに続々とロシアらしい品が…。
ボルシチにピロシキ、そしてビーフストロガノフ、さらにデザートが出てきて一人前とは?!
ロシア人仕様であるのか、健啖家御用達であるのか、もとよりがっつり食す方ではない者としては
なかなか始末に困る話でもあったわけでして。
おかげで当日の夜はうどん半玉、翌日の朝は食パン半切れ…と言う具合に
ずいぶんと長い腹持ちが続いたのですが、まあ、これもまた大いなる反省ではありましたなあ。
かように反省頻り?でありますが、ここまで反省しておきながら、
こういうときに何故が手袋の片方が落ちているのに続けて遭遇し、
やっぱり「なんでかな…」と思ってしまう2020年の年の瀬なのでありました(笑)。