白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり

大酒飲みで知られた若山牧水の有名な歌ですけれど、もはや秋は過ぎ、

本来なれば忘年会シーズンのにぎやかさがある季節も終わろうという頃合いですが、

2020年はとてもそういう年の瀬を迎える雰囲気にはなっておりませんですねえ。

年末だろうが、はたまた年始であろうが、「酒はしづかに飲むべかりけり」でありましょうか。

 

時に牧水あたりの酒豪ともなれば、さぞやぐいぐい飲んだものと想像するところでして、

そうしたことを考えると落語などに出てくる酒飲みというのも、落語家が演じるところを見る限り、

「体によくない」と言われる一気飲みばかりのような気がしますねえ。

酒杯の大きさは想像するしかありませんが、とにかく注がれたものはぐびっぐびっと飲み干していく。

 

そんなようすは歌舞伎などでも同じな気がしますですね。例えば「魚屋宗五郎」という話でも、

禁酒の神願を破って飲み出すという気負いもあってか?飲みっぷりがいいですなあ。

 

当然にへべれけになるとしても、落語や歌舞伎の登場人物たち、

よく急性アルコール中毒にならないものだ…てなことを思うにつけ、酒は酒でももしかして

今の酒とは違うのか?と思ったりするところです。お江戸の時代には清酒はあったと思うのですが。

 

そんなところで先日、「江川酒」なる、戦国の世から江戸初期まで造られていたというお酒を

再現する試みを紹介する新聞記事を見かけたのでありますよ。

 

「江川酒」の江川は幕末に韮山反射炉などを建造した江川太郎左衛門英龍の出た江川家

英龍もパン作りをしたりもするような人でしたけれど、その先祖も酒造りで創意工夫があったのでしょう、

「江川酒」はその昔、信長にも秀吉にも家康にも喜ばれる出来であったそうな。

もっとも、江川家は幕末の韮山代官だったというだけでなく、古くからの家柄だったのですなあ。

 

とまれ、そんな記事に接して日本酒(いわゆる清酒)にいろいろな風味の違いはあるとしても、

江川酒のように製法が秘匿されるほどに酒造りというものは当時、必ずしも定まった製法がなかったのか、

となれば今につながる日本酒はいったいどんなふうに出来てきたのかいね…と考えたところから

このほど『日本酒の起源』なる一冊を手に取ってみたのでありますよ。

 

 

それにしても、これほど題名どおりの内容であったかとは読み終えて思うところです。

まさに日本酒の「起源」の話であって、その後の歴史的展開があとの方に出てくるのかなと思っていたら、

読み終えてしまったのですな。ですから、話の発端は日本人はどこから来たか?みたいなところでもありまして。

 

先にも縄文人がいるところへ弥生人がやって来て稲作文化をもたらした的なところに触れたことはありましたですが、

いわゆるモンゴロイドには南方モンゴロイドと北方モンゴロイドがあって、ざっくり言えば前者が縄文、後者が弥生と、

そんなふうにいうことができるようです。

 

これまでは単純に後者は中国から稲作文化を携えてやってきた…てなふうに考えてしまっていましたけれど、

中国内でも南の方、例えば後の呉とか越とか呼ばれた国などのエリアは南方モンゴロイドが住まっていて、

これが北の方から北方モンゴロイド(いわゆる漢民族)が勢力圏拡大するに及び、日本列島にやってきた…

てな側面もあるようですね。縄文も後期のことかもしれませんけれど、すでに陸稲栽培の技術はあったようですから、

稲作といえば弥生と思うのはどうやら当たっていないようです。

 

ただ、北方モンゴロイド、弥生系の人たちは水稲の技術を持っていた。

これが後の日本で米のありがたさを決定づけて、先のEテレ「知恵泉」ではありませんが、

「ライス・イズ・マネー」ともなっていったのであろうかと。

まあ、米は栄養的にも完全食だと言われるくらいな優れものでもあったわけですが。

 

と、米の話からいよいよ酒の話になるわけで、南方モンゴロイドには「口噛み酒」の製法が伝わっていたということで。

酒造のプロセスには原料のデンプン質を糖に変える必要がありますけれど、その作用を人の唾液に求めたのですね。

原料を口の中で噛んで唾液と混ぜて発酵をスタートさせる、だからこその「口噛み酒」というわけで。

 

当時の人々には人工的に酒を造る唯一の手法として珍重されたのか、造ったお酒はもっぱらお神酒用であったと。

この風習は弥生勢力によって東北や南九州、沖縄へとの追いやられた縄文人系に長く伝わったようで、

江戸期にも南西諸島には残っており、薩摩の侍がこの風習に接して「きたねえなあ」と思ったと書き残しているそうな。

 

神に捧げる大事な貢物だけに衛生的な配慮がまるでなされていなかったわけではなく、

口噛みをする、いわば巫女のような役割は若い女性限定で、しかも事前にはよおく口を漱いだとか。

それでも見方を変えるとやはり汚い作り方とは思えてしまうわけですけれどね。

 

とまれ、口噛み酒という南方系の酒造技法はやがて北方系がカビ(麹)による発酵法に代わっていき、

これが現在の酒造にも連綿と続くものとなった起源であると。

話はここから、酒造りの歴史的変化が記されて…というのは読み手の勝手な期待でしたですが、

本書は「起源」をこそ考察するものでしたので、その後のことは差し当たり無しで。

 

まあ、それなりに興味深いところではありましたけれど、

やはりそののちの展開をいつぞやの機会に探ってみようかとは思っておりますよ。