貧しい職人の息子であったフィニアス(P.T.バーナム)はアイデア勝負で財を成すことを思い描き、
いわば江戸時代の見世物小屋のようなものを「バーナム博物館」として始めるのですな。
これが、今でもWeblio英和辞書に「愉快で騒がしいもの[出来事,人]; にぎやかなひと時; ばか騒ぎ」と語釈の載る
「circus」という言葉で揶揄されると、むしろこれを自ら好意的に?取り入れ、「サーカス」を名乗るようになる。
バーナム・サーカス、後にはリングリング・サーカスとして知られる興行団体はこうして始まった…とは、
虚実取り交ぜてはおりましょうけれど、映画「グレイテスト・ショーマン」に取り上げられているところです。
妙な興行が行われていることに忌避感を抱いた民衆との間で騒動が起こり、
結果、バーナム・サーカスの建物は炎に包まれて焼け落ちてしまうのですけれど、
ここで沈みこんでばかりというバーナムではないのですなあ。
建物が失われたのなら、移動式の大テントでもって興行を行えばいい。
この興行形式は「いかにもサーカスらしい」ものとも思えるところですけれど、
これもまたバーナムの発想だったのでしょうかね(少なくとも映画ではそう見えますが)。
と、そんな巨大テントが現在、東京・立川のららぽーと隣接地に出現しておりまして、
木下サーカスが興行の真っ最中。さる方面より入場券を手にいれましたので出かけてみたのでありますよ。
(出かけたのは先週、じわじわと「まずいかな…」感が出始めてはいましたが、早めに行っておくかと…)
木下サーカスの自称として「世界三大サーカスのひとつ」を謳っておりますが、
なんだか「世界三大古戦場」に関ケ原合戦が入っているを聞いたときのような感覚にもなるところかと。
とまれ、ロシアのボリショイ・サーカス、アメリカのリングリング・サーカス、そして木下サーカスが
世界三大サーカスであると、(少なくとも日本では?)認知されておるようですな。
と、ここで「シルク・ドゥ・ソレイユは?」となるわけですが、
伝統の動物芸が無い点でいわゆるサーカスとは一線を画しているということで。
シルク・ドゥ・ソレイユは一度、マカオのザ・べネチアン内のシアターで見ましたけれど、
確かにショーとしての洗練を追求しているところがあって、劇場の舞台で見るのに適している。
つまりは(これまたサーカス伝統の?)テントの骨組みが剥き出しになった空間には馴染まないと言えましょうか。
されど、その洗練さで進化系サーカスとも思われたシルク・ドゥ・ソレイユはコロナ禍の影響で数々の公演が中止となり、
6月に破産してしまったとか。復活を目指しているということなのですが、はたしてどうなりますか。
一方で、コロナ以前にバーナムゆかりのリングリング・サーカスは、2015年、すでに解散していたとは。
動物芸が目玉であったわけですが、動物愛護の考えたが進んだことで風当たりが強くなってもいたのであるとか。
観覧当日の木下サーカスの入り口付近にも、お二人ほど動物愛護の観点から訴えかけをする方々がいましたな。
ただ、見た目ですけれど、猛獣使いが鞭をぴしぴしっと鳴らしながら動物を操る姿は旧来のサーカス的印象ながら
決して動物を叩くわけではありませんし、無理強いしているふうもない。要するに昔ながらの雰囲気を醸しつつ、
動物扱いの点でも大きな変化があるのでしょうね。もっとも、調教段階のことは分けりませんけれど。
(どうやら入口あたりにいた方々はフライヤーにある、希少種のホワイトライオンの扱いを気にしていたようですね)
とまれ、(少なくなったとはいえ)動物芸や軽業、筋肉もりもりの力業とバランス芸、剽軽なピエロ、ジャグリング、マジック、
そして今も昔のサーカスの花形であるらしい空中ブランコ…と、このごった煮(要するに洗練とは方向性が違う)のありよう、
まあ、これこそがサーカスなのでしょうなあ。しかも、それがテントという(劇場とも違う)異空間で行われることも含めて。
帰り際、近くを通り過ぎた人が「誘ってくれて、ありがとう。こういうものとは…」てなことを言ってましたなあ。
サーカスと聞けば人それぞれになんとなくイメージが湧く。そのイメージどおりであるかどうかは別として、
見る者に一時の感興を与えることは間違いないようで。
昔からあるものには世の移り変わりとともに変化が求められるものですけれど、
そのあたりを何とかクリアして生き残っていくのかもしれません。
シルク・ド・ソレイユは独自路線で復活するかもしれませんし、もしかしたらリングリングも新しくなって…?
ご覧になったことのない方は、ぜひ一度はテントの中の異空間を覗いてみてはいかがでしょう。
懐かしかったり、驚きに満ちていたり、思うところはさまざまとなりましょう…でも、今じゃあないかも?ですねえ…。