ちょいと前のEテレ「歴史秘話ヒストリア」に映画監督の小津安二郎が取り上げられていたのには

ずいぶんと趣きの異なる印象がありましたなあ。

 

世界中で評価されているという小津安、

市井の人びとの姿を描くのにローアングルのカメラで撮ったそうですけれど、

高飛車目線にならない姿勢の表れでもありましょうか。

 

そんな構図で描き出される人々の日常が、

激しいアクションも息詰まるサスペンスも無いとはいえ、

その実、普通の人びとの共感を呼ぶ「ドラマ」となっていたのでしょうね。

 

と、そんな小津安作品をちらりと思い出させたのが、

イタリアのドキュメンタリー映画「ローマ環状線 めぐりゆく人生たち」なのでありました。

 

 

 

もちろん小津作品は作為に溢れた映画ということになりましょうけれど、

 

(聞こえの悪い表現かもしれませんが、悪意はありませんです)

これに対してドキュメンタリーは?

 

つい作為が無いものがドキュメンタリーと思ってしまうところもありますが、

実はどういう場面を切り取って、どのようにつなぎ合わせ、どんな印象を与えるか、

作り手の側の作為が満載であろうと思うところです。

 

そもそも登場人物たちに演技をさせるわけではありませんので、

必ずしも「こうあったらいい」と監督が思うような映像が撮れるわけでない中で、

意図する落着点に持って行くのは簡単な話ではないであろうと。

 

もちろん、そのままのありようをそのままに撮って、時系列そのままに映し出す、

そんな形のドキュメンタリーもあるわけですが、結果的には

作り手の作為がうまく(?)沈み込んでいる(ただし、間違いなくある)ことで、

単にその場を撮ったとしか思えないものもありましょうなあ。

 

と、いささか余談が長くなりましたけれど、話をもとに戻しまして、

大都市ローマをぐるりと囲んだ環状道路のそこここに点在する人々の暮らし、

それは環状線のそばに住まっているということでは共通しているも、

場所場所によって環境は大きく異なり、また相互の暮らしが交わることもない。

 

それほどに大都市とはひと括りにできないものであるとして、

ローマを舞台としながら、どこの町にも、それこそ東京にも大阪にも通ずる普遍性が

見る側には意識されるのだろうと思うのでありますよ。

そんなあたりが小津安作品を思い出させることになったのでもあろうかと思うところです。

 

とはいえ、オムニバス的に取り上げられている幾組かの家族(あるいはグループ、個人)は

それそれに個性的でもありますので、彼らの生活を見る側がすぐさま我が身に置き換えて…とは

ならないでしょうけれど、「普通の人びと」の生活を個々に見れば決して一様ではないことを

如実に示してくれるところでもありましょう。

 

とまれ、ストーリーを追いかけて「ああ、面白かった」というタイプの作品とは異なって、

受け止め方に自由度があり(といっても、実際には作り手の作為はあるわけですが)、

何も思うも、ともすると何を思わぬも見る側に任される。

 

そこが評価を大きく分かつところでもあろうかと思いますが、

本作はヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を得た初めてドキュメンタリーであるそうな。

見た人それぞれに、自分の毎日もその中にあるような感覚になったのかもしれませんですね。