外国のアニメーションを見ると、その絵柄や色合いに独特さがあるなあと思いますですね。
ディズニーくらいであれば、見慣れているせいか、さほどの印象はありませんけれど、
今回見ましたフランスものなどは「ああ、独特だなあ」と。
パトリス・ルコントが撮ったアニメ映画「スーサイド・ショップ」(個人的にはスーイサイドでないの?と思ったり)、
「いきなりアニメ作品?」と思ったところが、若い頃には漫画関係の仕事をしていた人だったのですなあ。
タイトルどおりに自殺用品を扱うお店とそれを経営する家族のお話。
いささかミュージカル仕立てふうでもありながら、舞台はゴッサム・シティのようなダークワールドで
のっけから次から次へと人々が自殺していくようすがちらちらする…という、そういうようすには
先に「独特な」と言った絵柄がなんともしっくり行っているのでありますよ。
ただ、屋外や公共の場で自殺に及ぶことはご法度になっているらしく、
それらしい死体が路上にあったりしますと、たちどころにパトカーがやってきて、
遺体に「違反切符」を切って置いて立ち去ってしまうというあたり、
ブラックですよねえ。
とまれ、そんな世界は全体的に暗いトーンで支配されているわけですが、
路地裏に一軒だけ、煌煌ときらびやかな光に溢れた店がある、それが「スーサイドショップ」なのですなあ。
安心、確実に死ぬための毒薬、首つり縄、刃物や銃砲機などを扱うこの店には、
次々と客が現れ、店主らにはその人その人に合った?品をお勧めするコンサルタント的なところも。
それだけに、顧客に寄り添うべく店の家族には「笑う」などという行為は厳しく戒められているわけで。
ところが、そこに新しい家族が。満面の笑みを湛えて生まれてきた男の子・アランはすくすくと育ち、
すこやかな楽しい少年として、やはり淀んだ雰囲気の子供たちの中にあって、「楽しく生きよう」と持ち掛け、
友人たちと一計を案じて、家族を暗がりから明るい世界へ、ひいては世の中に光を当てようとするという。
まあ単純な話で、メッセージは実にシンプルですけれど、
先祖から引き継ぐ稼業とはいえ、自分の店の存在意義を信じて疑わない父親や母親、
そしてそのことを疑いの余地なく受け入れさせられてきた兄や姉の姿を見ておりますと、
商売をするときに「ああ、こういう思い込みってあるのだろうなあ」と思ったりしたものです。
自らが扱う品物がどんなものであれ、確実に世の中で必要とされているというあたりが、
自分たちの商売の正統性(というと大げさですが)を裏付けていると思っている、
あるいはそう思わないとやってられないという側面もあろうかと。
現実世界で典型的なのは武器商人とかでしょうかね。
取り扱っている商品の性能はどれほどの殺傷力があるかといったことでその性能を表すとして、
その優劣によりさまざまな商品があるうち、ご予算に応じて適当な品をご紹介いたしますてなふうに。
その売買の結果としてどういうことが起こるかという具体的事実にはおそらく目をつぶっているのでしょうか。
それを気にし出すと商売ができない。なにしろ求める人がいて、そこへ商品を供給しているだけ、
自分は単なる商人であり、ビジネスマンであると。
ですが、やっぱりどこかでボタンを掛け違っているのですよね。
そのことに気付きましょうよ、当事者としては目をそむけているのかもしれないけれど、
でないと世界は暗い暗いトーンで支配されたところ(あたかもスーサイドショップがある世界)から
抜け出せないのですよ…ということになりましょうかね、込められたメッセージは。
アランが何ごとにも楽しそうにしているようす、
これはやがてスーサイドショップを見事に様変わり(思いがけない取扱い商品の転換)を導きますが、
その天真爛漫さが唯一の救いという雰囲気の映画でありましたよ。