さて、セルギエフ・パサド からモスクワ市内に戻ってきました。
折しも当日は日曜日であったせいか、週末をダーチャで過ごした人たちが
天候の悪化を見て早目に帰途についたのでしょう、モスクワ市内へ向かう道は
相当な渋滞となっておりましたですよ。


ツアーバスの車窓から見えたダーチャ

確かに道々にダーチャが建ち並んでいるところがあり、また市内へと近づくにつれて
帰って来る先であろうアパート群が建ち並ぶといったようすが見てとれたのでありました。


都市部ではみなアパート住まい

ご存知のようにソビエト政権下のロシアでは
市内中心部に個人で土地を持つことができませんでしたので、いわゆる一戸建ては無いのですね。
その代わりに政府が大きなアパートを何棟も建設して、労働者に住宅を提供する。
さらに郊外には自家菜園も可能なセカンドハウス的なるもの(ダーチャですな)も提供するてな具合。


かつてとは違って所得格差が生じてきていますので、かつての宛がい扶持のアパートも
余裕のある人は隣の区画との間の壁をぶち抜いてふた区画を自宅にしていたり、
ダーチャの土地も広くしていたりということもあるようです。


と、そんな途中の風景を見ながらゆるゆる市内中心部に戻って来たわけですが、
復活大祭(ロシア正教の場合2019年は4月28日)が近づいてきているせいか、
歩行者天国となっているニコルスカヤ通りではこんな飾り付けがあったりも。


モスクワのニコルスカヤ通り

で、このニコルスカヤ通りを少々後戻りしてひょいと角から覗いてみますと、
目の前には「赤の広場」が広がっているのですなあ。


モスクワ 赤の広場

正面には聖ワシリー大聖堂、右手に続く塀の向こう側がクレムリンになります。
そして塀沿いのもそっと手前には、あたかも現代アート作品のような小さな建物があり、
これがレーニン廟だということで。確かにキリル文字でレーニンと書いてあります。


レーニン廟@赤の広場

キリル文字で「レーニン」と

廟の裏手には、ソビエトの指導者として(いろいろな意味で)超有名なスターリン の胸像を
見ることもできますが、そちらの方へずかずかと近付いていくことはできません。
自動小銃を構えた兵士が歩哨に立っておりますから。


こうした部分だけを見ますと、かつて映画の中で見たソ連のイメージを思い起こさせ、
またいかにも「赤の広場」だなと考えてしまいそうながら、
実は「赤の広場」が共産党の「アカ」とは全く関わり無いのだとは
ロシアに出かける前の予備知識としてようやくに知り得たところでありました。


そもロシアでは「赤」=「美しい」という認識であるらしいですね。
ロシア語としても「красный(赤)」と「красивый(美しい)」とは
かなり似ていますし。


ところで、ツアー一行は霙にけぶる赤の広場で冷たさに打ち震えてばかりだったわけでは
ありませんで、クレムリンの壁の向かいにあるこちらの建物で雨宿りといったことに。


大きな大きなグム百貨店@赤の広場

ソ連時代は国営百貨店となっていたグム百貨店の建物です。
そも「グム(ГУМ)」という言葉自体が国営百貨店という言葉の頭文字を並べたものですので、
グム百貨店とはおかしな呼び方かもしれませんですが。


グム百貨店の内部はショッピングモールのようで

中に入りますと、大きなショッピングモールのようでありますね。
吹き抜けの開放感とモダンな内装は帝政期の1893年に建てられたというのが頷けるものですけれど、
果たしてソ連時代でも同様であったのでしょうか…。



そうそう、グム百貨店の中でソ連時代には確実に使われなくなった施設があるそうなんですが、
それの入口がこちらを下ったところです。ちなみにこれは男性用。


ブルジョワ向け?超豪華トイレへの入口

設えがブルジョワ的に過ぎるとして使えなくなった超豪華トイレだということです。
今は復活しているそうなので、200ルーブル(340円くらいでしょうか)出せば誰でも使えるとか。


少々覗いてみたい気はしましたですね。ヨーロッパのあちらこちらで公衆トイレを使おうとすると、
1ユーロとか1.5ユーロとかであまり清掃も行き届いていないのに出くわしますから、
それに比べれば興味はコストパフォーマンスは高そうですし。


ま、そこは興味だけに留めましたですが、ぐるぐる回ったらもそっと深掘りできるのかも…という
グム百貨店なのでありました。