大歩危 あたりから剣山 を目指した道中が細く曲がりくねった道の連続であったとは
先に申したとおりなのですけれど、いざ剣山登頂を果たした後には
このくねくね道を引き返さねばならなったのでありまして。

何せその日の宿がかなり戻った「道の駅にしいや」の近くだったものですから。


で、またしても対向車と向き合ってはこちらがバックしたり、
はたまた向こうに下がってもらったりを繰り返しつつ進んでいったわけですが、
かような看板を見かけるに及んで小休止ということに。



もちろん来るときにも通った道ですから気付いておらないはずもなく、
戻るときに立ち寄るかと算段していたのでありますよ。


ですが、ここで発見した「かずらばし」は、
もそっと下流にあって世に名高い「かずらばし」とは違うものだと思っていたのですなあ。
何しろここの橋は正式には?「奥祖谷二重かずら橋」というようでしたので。



そも「かずらばし」とは超有名な方の固有名詞であって、
それと類似の商標は真似ただけなんでないの…という認識不足も甚だしい状態だったのが
二重かずら橋の解説板を読むに及んで、「ああ、そうか」と気付かされた次第。
こんな説明がありましたですよ。

かずら橋は、祖谷13橋といわれ生活道として利用されていましたが、現在、西祖谷山村善徳と共に2橋だけが残っています。
奥祖谷かずら橋は、約800年前、平家一族が讃岐志度の浦の戦に敗れ、祖谷の地に逃れた後、剣山平家の馬場で軍馬の調練に、また、木挽、杣、猟師等に使用されたものです。剣山信仰のため、香川県、海部郡、高知県香美市との交易に、一般生活道としても利用されていました。

ちと読解に苦しむところがありますけれど、
「西祖谷山村善徳」(西祖谷山という村の中の善徳という地区)にあるのが
一般に知られる超有名な「祖谷のかずら橋」で、かつて13の橋があったところ、
今ではそのかずら橋ともうひとつだけ残っている。それが奥祖谷の二重かずら橋なのですな。


となると、いずれもが正統派かずら橋なのではありませんか。

そうと知ってみれば実に現金なものでして、訪ね甲斐指数が俄然アップすることに。
渓谷の崖に付けられた道を下っていきますと、「おお、あれが!」と。


この奥祖谷の橋の特長は「二重」だということでして。上の散策マップにもありますとおり、

女橋と男橋のふたつが近接して掛かっているので、「二重かずら橋」なのですなあ。

こちらの低い方が女橋でして、振り返ると少々高いところに男橋が。



ちなみに女橋は水面から5メートル、男橋は水面から12メートルの高さとか。

プチ高所恐怖症(であるのにこのようなところに行きたがってしまい…)として

特に男橋には足を踏み出すには臆するような。




さすがに安全への配慮からワイヤーが仕込まれてはいますけれど、

基本的にはつる植物のシラクチカズラ(サルナシとも)が素材ですのでねえ…。



おっかなびっくり橋を渡ってみて、やっぱりこの橋は眺めるのがいいかなと思ったり。



かような奥祖谷の二重かずら橋に立ち寄って、さらに元の道を戻って行きますと

やがて超有名な方の「祖谷のかずら橋」に到達するのですな。

ついでですからこちらにもと思ってみたらば、こんなありさまで…。



橋を渡ろうとする人々が行列を作っておりましたですよ。こうなりますと並ぶのも面倒ですし、

一度にたくさんの人が橋に乗っかっているのを想像するだけでいやぁな気分に。

どのみち奥祖谷二重かずら橋を渡って来た者としては、ここは眺めやるだけにしとこうと。



確かに景観的にはこちらの方が優っているかもですが、

人気の違いはひとえに近いか遠いかの差でもあろうかと思うところです。

多くの人がどちらかといえばアクセスしやすい「祖谷のかずら橋」に押し掛けることから、

橋に向かう車道もまた車が数珠繋がり。大渋滞を引き起こしておりました。


そんな車列の反対車線をすい~と進んで、

四国東半周の旅最後の宿へと向かったのでありました。