「アムステルダム紀行」と始まって途中から「ついでのベルリン紀行」となって

長らく書きついでまいりました夏旅のお話も年末にまってようやく最終回を迎えました。


アムステルダムでの5泊、ベルリンでの2泊が終わり、帰国便をつかまえるため、

ベルリンからアムステルダムへの逆戻りするフライトに乗り込んだのでありまして。

何せベルリンはドイツの首都ながら日本とは直行便で結ばれていないのですよね。


かつてJALが(ほんのいっとき?)直行便を飛ばしていたことがあったように思いますが、

今は無くなってますですね。


ベルリンの観光局からは、ベルリン・ブランデンブルク空港が新規開港した暁には

ぜひ直行便を!との熱い要望が寄せられているようですけれど、その新空港は

当初の開港予定を2011年だか2012年だかとしていたにも関わらず、未だに工事中。

2020年10月には開港てな話もありますが、はて…。


ちなみにブランデンブルク空港に衣替えが進行中のシェーネフェルト空港は

東ドイツ時代は大きな空港であったものの、現在はもっぱらLCCに利用されているとか。

ということで、再びベルリン・テーゲル空港からアムステルダム行きに乗り込んだのでありますよ。


ベルリン・テーゲル空港

と、飛び立てば眼下にはベルリンの町。

相変わらずどこからでも見えるテレビ塔が存在感を放っておりますな。


ベルリンの町でひときわ高いテレビ塔

東京の町でいえばスカイツリーかとも思われるところなだけに

それほどにベルリンの町のスカイラインが低めであるということですね。


ところで、飛行機の窓から外を見下ろしていてふと気付いたことがありまして。

ベルリンを離陸後、しばらくドイツの上空を通過するわけですけれど、

眼下に広がる農地のようすはこのように。



形がばらばらの端切れを取り交ぜたパッチワークのような景色。

その場所、その場所の自然との折り合い(林や小川を避けるとかいった)をつけてきた、

おそらくはそんな歴史が農地の形にも表れているのでありましょう。


これがしばらく飛んだ後、「ああ、もうオランダだな」ということが分かるのですよね。

下を見下ろしていると。



海へ出たとかいうことではありませんで、農地の区画が整然としているということ。

干拓地ならばこその区画割りであろうかと思うところなわけでして。

空から見てもオランダ人は国土を自分たちの手で造成したのであるなあと。


とまあ、かようなことを思い巡らしているうちに、

搭乗機はアムステルダム・スキポール空港への着陸態勢となりました。

空港近辺の土地もまた区画がはっきりしてますなあ。



このあと、スキポール空港での乗り継ぎにまつわる顛末は

今回の旅話の初回 でこぼしましたとおりでありまして、

そうした循環構造のような仕立てで(?)ともって

「アムステルダム紀行」、「アムス紀行ついでのベルリン紀行」は語り納めでございます。