アムステルダムの街角でスピノザの像 を見かけてからほどなく、
ちょいと広い通りに出たところでレンブラントハウスに到着と相成りました。


レンブラントハウス@アムステルダム

真ん中に見えるレンガ造りの建物がまさにレンブラントが住まってアトリエとし、
また工房としても使った「レンブラントの家」でありますよ。


入口は左隣りのモダンな壁面の建物の方にありまして、
入場すると建物内で繋がった通路を抜けて古い家の方へ。

階段を上って行きながら住まいを見て回った後、
新しい建物の方でデッサンなどの展示を見て回るという形でありました。


ということで、まずは住まいの方へと足を向けるわけですが、
全体像は模型で見るとこのようになっておりますよ。



建物の外観と比べてもらうと分かりやすいですが、
オランダの風俗画でよみ見かける白黒市松模様の床になっている部分、
天井が高いこの部分は外から見ると1階(向こうではグラウンドフロアですな)で、
上階はそれぞれ窓が付いているとおりに2階、3階が模型のとおりに乗っている。


ではいわゆる1階より下にある部屋は?と言えば、要するに地下なのですな。
台所や使用人の部屋ということになりまして、こちらも建物外観で見てもらいますと、
写真の右手側に玄関がありますけれど、使用人はここから出入りしないわけで、
建物左手に半地下へと降りる石段に隠れて入口扉の上の方だけ見えてますですね。
ここが要するに勝手口、通用口、使用人の出入口というわけです。


お勝手=台所にも建物裏の物置スペースにも使用人部屋にも
こちらからは直結しているのですな。


ただ模型で右下に見えているのは台所というよりダイニングでありまして、
本当の台所は建物の裏の一層奥まったところなのですよ。
この中庭?に面して左側に突き出ている部屋が台所です。



台所はどうしても火を焚きますから、熱が回って家じゅう熱くなるのを
防いだりするために飛び出させた造りにもなっているそうな。
それでも作業スペースとしての台所は広くて使い勝手は悪くなさそうですが。



1階に上がると広さも高さもある部屋になりまして、ここがいわゆる玄関ホール。
ものものしい扉が先ほど外側から見た本来の入口ということに。



そして、玄関ホールの広さを活かしてたくさんの絵が掛けられているのは、
レンブラントは画商として他の画家の作品も扱っていたからですね。
客を迎える玄関ホールはいわばショーウィンドウ代わりともいえそうで。



ホールのお隣は私室でありましょうか、ここでもやっぱりベッドは小さそうですな。
ヒートホールン で見たベッドが小さいのは農場だからということでなくして、
一般にどこでも膝を曲げて眠るからベッドは小さくていいということですね。



ベッドのことはともかくとして、オランダの部屋割りの変遷からしますと、
この玄関ホールを仕切って隣に部屋を設けるという形は16世紀に入って登場したとか。


それまでは玄関の扉を開けると広い広い玄関ホールだけがあって、
スペースを部分的に私的利用しようとしてもプライバシーを保てなかったのですが、
部屋を仕切ることで私的空間としての利用が可能になったようでありますよ。


ちなみにこのサイドルームが作られ始めた頃は(上の模型写真でも分かりますように)
1階部分を中央で仕切る、つまり玄関ホールとサイドルームの幅が同じだったのが、
時代を経るにつれてだんだんとサイドルームが幅を利かせていき、
その分小さくなった玄関ホールはホールというより、単なる玄関に代わっていったと。


レンブラントの頃には商談を広い玄関ホールで行っていたものと思いますが、
後の時代には表の扉を入って狭い玄関でそのまま立ち話というのではなく、
扉一枚隔てたサイドルームへ招じ入れて商談を行うという、
現代にも続くありようにだんだんと近づいていったのですなあ。


と、レンブラントの話というよりは建物の話ばかりになってしまっていますけれど、
それというのもアムステルダムの都市開発史とオランダの住宅事情などを扱った
「水都アムステルダム 受け継がれるブルーゴールドの精神」なる一冊を予め読んでおり、
いざレンブラントハウスを訪ねてみれば、なるほど往時のオランダの住まいは
かようであったかと思ったものですから。


水都アムステルダム: 受け継がれるブルーゴールドの精神 (水と〈まち〉の物語)/岩井 桃子

余談ついでに、この本はアムステルダムに出かけてみようという方が読んでおくと
とても興味深く町を眺められるようになると思いますですよ。

というところで、レンブラントハウスの上階へと歩を進めるところながら、
長くなりましたのでアトリエ、工房に関するお話は次の機会ということに。