レンブラントハウスへと向かう道すがら、ひとつのモニュメントに目が留まりました。
廻りこんで解説を見るに、どうやらスピノザの像であるようで。


スピノザの像@アムステルダム

かつて学校で習った世界史の授業では、時代時代の文化人やら芸術家やらを
まとめてザクっと紹介して時代のようすを伝えようとしていたところがありますが、
そんな中でスピノザの名前も目にしたような。
記憶に残っているのは単に哲学者だったということくらいです。


ですが、オランダにとっては著名人なのですよね。

先に読んでおりました中公新書「物語オランダの歴史」の前書き部分で触れていた

オランダの人、数十万人の投票で選ばれた「最も偉大なオランダ人」のランキングで

スピノザは21位だったことが紹介されておりました。


ちなみにベストテンの中には(政治家、特に現代に近いところの方は知らないので端折って)

エラスムス、アンネ・フランク、レンブラント、ゴッホといったところがランクインしてましたなあ。


それにしても、ここで触れているスピノザは21位とは微妙…とも思うところながら、

翻って日本で同様の企画があったとしたら、21位までの間に思想家や哲学者が入りましょうか。

おそらくは戦国武将などの歴史上の人物やさまざまなスポーツ選手などが

かなり名を連ねる一方で、まあ、人文系でいうなら作家が入ってくるかどうかでしょうかね。


とまれ、オランダの投票で単に名前が知られているだけで上位に入ることはないとして、

スピノザという哲学者の業績を踏まえた上で21位に入ったとは

やっぱり大した人なのでありましょう、スピノザは。


ですので、アムステルダムにスピノザの像があっても何ら不思議はないわけですが、

まさにこの像のある場所が生誕地なのであるというのですなあ。


解説板にも「亡命ユダヤ人の息子として生まれた」と書かれてましたですが、

両親はポルトガルから逃れてきたセファルディムでして、スピノザ像のある場所近くには

ポルトガル系ユダヤ教会やユダヤ歴史資料館などもあるようですので、

かつてはユダヤ人街だったのかもしれませんですね。


ところで、さきほどスピノザは著名人であって、おそらくはその業績も

きちんと踏まえた結果であろうと言いましたですが、

ではスピノザがなした仕事とはどのようなものであるか、

この際ですからちとでも触れておくかなと思ったのでありますよ。


ですが、主著「エチカ」はどうやら数学的発想のもとに書かれたてなことを聞くだけで

「のっけからは無理だな」と敬遠してしまい、この際はやさしい入門書にしておこうと

講談社現代新書「スピノザの世界」を手に取ることに。


スピノザの世界―神あるいは自然 (講談社現代新書)/上野 修

結果的には、入門書であっても読む際には頭が相当にクリアな状態になっていないと

しんどいものでありますね。かほどに論理的な展開に慣れていないせいでもありますし、

うすぼんやりしながら読んでいると、少し食いつけるところがあるとすぐに思考は

かってに暴走(妄想)し始めて、先を読みつつ実は別のことを考えてしまって

およそ頭に入ってこないといった具合でして(笑)。


ですので、スピノザの思想の一端にも触れるのは難しいところではありますけれど、

まあ、ほんのさわりだけ(それも勘違いがあるかもですが) 

まずもって、スピノザ像の解説板にはこんなことが書かれておりましたな。
(原文は英語ですので、意味の取り違えはあるかもしれません。念のため)

もっとも重要な著作である「エチカ」の中で彼は「神」についてのあらゆる伝統的な概念を排除し、自然界に現にある混沌、また人間や社会に関してもは不変の自然の法則によって支配されていると表明した。

ここで入門書に戻って「エチカ」からも短い引用を。

おのおのの事物が自己の有に固執しようと努める力はその事物の現実的本質にほかならない。

普段、自分たちが何かしらの行動をするとき、その行動には何かしらの目的があると考える。
ですがこれは思い込みであって、「目的とは衝動のことである」とスピノザは言うのですな。


例えばとして挙げられていたのが、朝の通勤のようすです。
駅のホームに急ぐという行動をしている人がいて、「なぜ?目的は?」と尋ねる。
「電車に乗るから」という返答に「その目的は?」とさらに。
「会社に行くのだ」に対して「その目的は?」と。


以降、返答の「給料をもらう」、「生活するため」、「食べるため」、「生きるため」…に
ことごとくその目的を訪ねていくと、結局のところ「生きている」のは
人間という「事物の現実的本質」であって、目的という意味付けを後追いでしているにすぎず、
動物が本能的に持っている衝動なのだということになっていくという。


人間は自覚的に生きていると思っているけれど、先の解説文にあるように
実は「不変の自然の法則によって支配されて」いるということになるわけでありますよ。


とまあ、かようにほんの部分だけを取り出してどうのこうのは言えないものの、
これまた解説文にあった「スピノザの考察は今なお通用するものである」ということは
分かるような気がしたものです。


スピノザ像のローブに施された鳥のレリーフは、
他地域からもたらされたインコとオランダにいるスズメを混ぜて配することで、
アムステルダムの多文化性を象徴するものとなっているそうですけれど、
まあ、思索の森の深さをも表すことになっているかもしれませんですね。