関内駅からぶらり と歩き始めてみなと大通りをちょいと進むも、
ちと裏道をたどるべく左へ折れて、ほどなく出くわしたのがこのようなものです。
明治23年(1890年)10月、横濱共同電燈會社が火力発電所を建てて、
あたりの700軒ほどに電力供給を開始したのがこの場所であるということで、
「神奈川県電気発祥の地」を示す碑がありました。
歴史の街横浜にあって「神奈川で初めて」とはちとインパクトが弱い気がしますが、
この地というのが今は東京電力パワーグリッド(東電の関連会社ですね)の
関内変電所とgoogleマップなんかで知ることができますね。
火力発電所があった当時はそれこそ周りに影響ない場所だったのでしょうけれど、
今ではすぐ向こうにたくさんの人が行き交っている街なかにあたるところながら、変電所かあと。
ですが同社HPによりますれば、街なかだからこそ電力の安定供給が必要で
そのための地下施設としてある変電所なんつうものもたくさんあるのだとか。
知りませなんだ。
と、同じ建物の角を右手に回り込んでみますと、
ちと賑々しく大きなモニュメントにでくわしました。こちらです。
「横浜ベイスターズ優勝記念モニュメント『煌』」というものであるそうな。
見えにくいですが、真ん中の大きな四角には胴上げシーンが刻まれています。
1998年のリーグ優勝と日本シリーズでの勝利を記念して作られたものであるとか。
当時の選手たちの手形がずらり並んで、プロ野球をそれほど見ない者にとっても
「ハマの大魔神」とか「マシンガン打線」とか、そうした活躍ぶりを示した選手たちの名前には
おうおう、懐かしいねえと(個人的には大洋ホエールズと言われるともっと懐かしい)。
このような不意打ちのあった裏道をぐるり回って再びみなと大通りへ。
横浜公園へと渡る交差点の近くで、「これって歴史ある?もしかして」という喫茶店が。
「コーヒーの大学院 ルミエール・ド・パリ」という店名の自己主張もさりながら、
店の入り口に西洋甲冑が置かれてあったりするのもまた独特な印象でありますね。
歩き始めたばかりで休憩には早いので入りはしませんでしたが、
どうやら内装もまた独特であるようす。またの機会に覗いてみますか。
と、目の前の相生町一丁目交差点を渡って横浜公園へ。
といっても、ここが「横浜公園」であると認識したのはこのとき初めてでして
単に横浜スタジアムのある場所としか意識しておりませんでした。
ということで、続きは横浜公園の中へ踏み込んでみたお話になってまいります。