ブルッヘの、観光客で賑わう界隈には
ベルギーの伝統工芸(であるらしい)レースを扱ったお店もあって…と言いましたですが、
他にも、やはりブルッヘの歴史ゆかりの品物を扱っているこのようなお店もありまして。
いかにもなジュエリー・ショップですけれど、
「Diamant Huis」とありますようにダイヤモンドの専門店なのですなあ。
かつて貿易で賑わったブルッヘではさまざまな物の加工技術も進化したと思われますが、
そのうちのひとつにダイヤモンドの研磨技術などもあるのだそうで。
そんな歴史的経緯に気付くことがなければ、おそらく立ち寄らなかったであろう施設が
このショップと同じ建物があったので入ってみたのでありますよ。
「Diamant Museum Brugge」、ダイヤモンド博物館なのでありました。
まず最初の展示は「ローデウェイク・ファン・ベルケムの工房」。
なんでもブルッヘで金細工師をやっていたこの人が15世紀後半に
鉄の回転板の上にダイヤの粉をのせて磨くという、ダイヤモンドの研磨方法を考案したそうで。
中世の頃にはインドの原石がヴェネツィアを経由してブルッヘに持ち込まれていたそうですが、
歴史上最初のダイヤモンドの婚約指輪が作られたのはブルッヘであったとか。
町との関係は必ずしも良好ではなかったハプスブルク家のマクシミリアンが
マリー・ド・ブルゴーニュとの結婚に際して贈られたということです。
後の神聖ローマ皇帝の眼鏡に適うだけの確かな技術がブルッヘにはあったことは
別の面でも推測できる…その証しともなるのが絵画であるのですなあ。
なるほどフランドル絵画に描かれた人物には数々の宝飾品で飾られている人たちがいる。
そして、あまりその方面には目をとめていなかったものの、よくよく見れば
かなり精巧な細工であるなあとも気付かされるところかと。
そうした宝飾品の輝きを画家たちが見事に写し取ることももちろん大したものですが、
絵のモデルたちが現にそうした宝飾品を身にまとっていた、
つまりはそうした宝飾品を作った職人たちがいた…とは考えてみたことがありませんでした。
さりながらそのような繁栄も束の間、ダイヤモンド産業はブルッヘからアントウェルペンへ。
そして、やがてアントウェルペンも含む南部ネーデルランドがスペインの圧政にさらされると、
職人たちはアムステルダムへと移っていってしまったのだとか。
ただ、20世紀初頭にはアントウェルペンがダイヤモンド産業の中心地として返り咲き、
現在に至っているようですが。
この後、展示はダイヤモンドをめぐるさまざまな面に及びまして、
合成ダイヤモンドを作り出すロボット「ボリスくん」の紹介があるかと思えば、
「ダイヤモンドはキンバーライトという火山岩に含まれている」といった地質学的な説明や
史上最大のダイヤモンド原石は「カリナン」と呼ばれ、3106カラットもあるといった紹介もある。
ちなみにこの原石「カリナン」から切り出されたジュエリーで最大のものは
英王室が所有しており、「偉大なアフリカの星」(530カラット)と呼ばれているそうな。
なんだか名探偵が活躍しそうな話に繋がっていきそうですなあ。
そうしたあれこれの先には
さまざまにカットされ、宝飾品に仕立てられたダイヤモンド製品の展示もあり、
「ほお~」とは思うものの、それ以上ではない。
まあ、こうした関心度合いが先に触れたフランドル絵画で
宝飾品に目がとまっていなかったということになるのでありましょう(笑)。
とまれ、ブルッヘとダイヤモンドの関わりに些かも予備知識が無かったならば
間違いなく素通りしていた博物館も、入ってみればそれなりに面白かったなと思うのでありました。