ところで、この白鳥のたくさんいる水路 の向こう側、
ずうっと塀が巡らされておりますけれど、

この塀の向こう側がブルッヘのベギン会修道院なのでありまして。


11世紀末、教皇ウルバヌス2世が叫んだ聖地奪回は軍隊行動としての十字軍ばかりでなく、

身分を問わず多くのカトリック信者の目をエルサレムに向けることになり、

「民衆十字軍」なる聖地巡礼行動をも生んだのですなあ。


そんな熱情にかられて男たちが出かけていってしまったあと、

とどまった女性たちが日々の生活を相互扶助することを目指してベギン会はできたようです。


ただこうした記述ですと既婚女性を対象にしているように思えるところながら、

そうとばかりは言えないようでして、しばぁらく前に呼んだ「『死の舞踏』への旅」 という本には

こんなことが書かれていたのでありますよ。

ベギン会の成立には当時の同地方(ネーデルラント)の極端な男女比を原因にあげる学者もいる。男性100に対し女性120の比だった。ということは、女性にとっての結婚市場が非常に狭くならざるをえず、結婚の可能性を奪われた女性を収容するためにもベギン会が生まれたというのである。

ただでさえ、男性不足のところへもってきて、こぞって聖地を目指して出て行ってしまったという。

ベギン会がこの地域に特別なものであるのは、何かしら地域的な事情があったからで

それが男女比のアンバランスだったということなですなあ。


ということで、かかる施設のベギン会は「フランドル地方のベギン会修道院群」として

13箇所ひっくるめて世界遺産になっている。ブルッヘもまたそのひとつというわけです。


されど、本来的にベギン会に身を寄せた女性たちは、必ずしも修道女のような

厳格な規律を課せられているのではないので修道院という言い方は適当でないようですが、

ブルッヘに限っては現在の運営母体がベネディクト会となっていて、

他のところよりもいささか敷居が高い…そこで、修道院という言い方にもなっているのやもです。



塀にも「静粛に!」マークが取り付けられておりますし、敷地内での写真も不可。

数多訪れる観光客の中にはそうしたサインに気付かないままに「パシャリ!」と

やってしまっている人たちもいましたけれど、ここは気付いた者としては自粛、自粛。

そこで写真は運河を跨いで入る門のところだけということで。



一歩中へ踏み入ってみれば、確かに空気が変わるといいますか。

周囲を囲われた内側には静穏さというものを含んだ空気が漂っているような、

そんな気がしたものでありますよ。




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