これはグルーニング美術館
で見た「ブルッヘの家族の肖像」という一枚。
1645年に描かれたものですけれど、遠景におかれたのが当時のブルッヘの町でして、
先に見た聖ヤンハウス風車 のような風車の羽根がいくつも描かれているのですね。
例えばこのように。
かつてブルッヘには29の風車があったということですので、
町を遠望すればいやでも目に付く存在だったことでありましょう。
聖ヤンハウス風車のある運河沿いの土手には今でも4基ほどでしょうか、
今でも残されているところをみると、風の具合がすこぶるよろしい場所だったのでもあろうかと。聖ヤンハウス風車からも見えるところには、こんな風車もありましたですよ。
とまあ、かつての風車銀座?とも思しき運河沿いの道をまたしばし進んでいったわけですが、
ここにはかつてブルッヘの町を守る城壁があったところでもありますね。
いわば運河がお濠の役割でもあったというべきでしょうか。
独立した商業都市としての町を守っていた城壁が取り払われたのは18世紀末で、
時の神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世 (マリー・アントワネットのお兄さんですな)によってのこと。
このころにはすでに「黄金のブルッヘ」とは今は昔のことであったのかも。
で、聖ヤンハウス風車から運河沿いに歩くこと、5分ほど。
かつての城壁の名残りを今に伝える「十字の門」(Kruispoort)にたどりつくという。
一応、自動車でもくぐれますが昔のままですので、当然にして車道は一車線。
歩行者や自転車は門をくぐるのでなくして建物そのものを外側から迂回して通り抜けます。
反対側から見ると一目瞭然ですね。
中央の通り抜けの上部壁面に縦にふた筋の切れ目が入ってますけれど、
これはもしかして運河をわたるための跳ね橋が鎖(か何か)で
取り付けられていたところでもありましょうか。
さすがに運河も今見るほどには幅広ではなったのでしょうから。
とまれ、市の内外を結ぶ交通路として城壁に穿たれた門は他にもいくつか残されていまして、
その中で楕円形をした市街の南東端に位置するヘント門は博物館にもなっているとのこと。
行ってみたかった(ミュージアムパス で入れますし)のですが、
一日歩きまわって草臥れ気味だものですから、とりあえずホテルへと戻ることにしました。
市の中心部を単に横切っていけばいいと思って適当に歩いていましたら、
ものの見事に「ここはどこ?」という状態に。まあ、それも楽しからずやなのですけれど。
しかし、どこを見ても古い建物と運河の水辺。なんかいい町だなあと思いましたですよ。
特に観光ポイントを外れた、ひと通りも少ない穏やかなあたりがいいですなあ。