豊前国一宮・宇佐神宮 の参拝を終えまして、このほどの大分の旅はもはや終盤。

最終的に大分空港へ出るためのバス便がほどほどの時間にある豊後高田へと向かったのでした。


昭和の町・豊後高田


豊後高田の町はどうやら「昭和の町」を標榜しているようでありますね。

商店街のようすが「三丁目の夕日」を思い出させるような佇まいだそうですが、

それはまた後で見ることにして、まずは観光客向けの中核施設と思しき「昭和ロマン蔵」とやらへ。



そこには駄菓子屋があったり、木の机椅子が並んだ教室があったり…。




オート三輪があったり、紙芝居屋の自転車があったり…。




はたまたアグネス・ラムと由美かおるがそろい踏みだったり…と、

あれやこれや「どうよ、懐かしいんでないかい?」と迫ってくるわけなのですなあ。


時に、遅まきながらの昼飯をとこの昭和ロマン蔵の一角にある食事処へと入り込み、

大分の郷土料理らしい「鳥天」の定食を食したのでありました。


とり天定食@レストラン旬彩「南蔵」


基本的には鶏肉の天ぷらでありますが、下味の付け方やつけダレの調合に個性を出して

大分じゅう(?)あちこちでその味を競っているという話も。


とまれ、その鳥天をおいしく頂戴しておりますときに、ちょうど窓の向こう側にある

「昭和の夢町三丁目館」(上の写真の駄菓子屋や教室のある建物)の前で

何人かの子供がこま回しに挑戦している姿が目にとまったのですなあ。


こうしたレトロ風な施設には昔の子供のおもちゃが置いてあることは珍しくないわけですが、

こま回しなどはそうした昔の遊びの最たるものでありましょうかね。

で、ここで子どもたちが「挑戦している」と書きましたのは、

早い話がこまを回せないからなのでありますよ。


鳥天をもぐもぐしながら、こまをただ放りだしてぼたっと落としているだけのようすを垣間見、

「あ~あ、それじゃあ回らん。送りだして、最後に引かにゃあいけん!」

「そもそもひもの巻きがぐずぐずなんでないかい?」…思わず、窓越しにこっち貸してみい!

と言いたくなる状況が展開していたわけでして。


食事を終えて、意気揚々とその場に乗りこんでいったときには

子どもたちは飽きてしまったか、誰もおらなくなっていまして、

要するに誰も見てはいないわけですが、「見本をみせちゃる!」とばかりこまを手にとる。


ぐるぐるぐると巻きつけ始めて、ふにゃと巻きがくずれてしまい、失敗。

「そうじゃないんだよ」と堅く巻き付けていって握り直し、

一瞬間「回らなかったらなんとしよう」とのたじろぎは表に出さず、えいっと送りだし、やっと引く。果たしてこまは無事に回りました(同行の友人が証拠映像を撮ってくれました)。


要するに昔取った杵柄というやつでありますね。

それに比べて、今の子供たちはこま回し自体をやったことがないのだから、

できなくても致し方ない。


もちろん、こま回しという遊び自体が今の遊びに比べられるほどに面白いかとなれば、

なんとも言いようがありませんけれど、普通にこまが回せるようになれば

より戦闘的な対戦型ゲームであるベーゴマへと進む可能性はありますね。


またメンコ遊びなんかも本気で?やろうとすると、

どういう角度でたたきつければ相手のひっくり返るかと

頭も身体も同時に使う遊びだったのですよねえ。


そんなこんなで思い出すのは、自分が子どもだった頃、

それこそどっぷり昭和だった頃にはいわゆるゲーム機の類いは皆無であって、

いろんな工夫をして遊びを作りだしていったものだなと。


そんなこんなの遊びを子どもたちに伝えたら、

やはり同じような子供心で楽しく受け止めるのではないか…と思ったりもしましたが、

今の世の中、そんなことを思うこと自体、子供たちには大きなお世話なのかも。

電気も使わない、お金もさほどかからないものが遊びとして面白いという感覚が

ないかもしれませんし。


…とまあ、そんなことを考えたりもした豊後高田の昭和ロマン蔵なのでありました。


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