アーレンツハウス のある辺り、
あたかもブルッヘのミュージアム・クォーターでもあらんかと申しましたですが、
休館中のGruuthuse Museum 以上にいちばん訪ねておきたいのがGroeningemuseum。
これも「オランダ語的には…」とこだわっておきたいところながら、
グルーニング美術館と記しておかないと全くヒットしないことでありましょう(苦笑)。
とまれ、そのグルーニング美術館はアーレンツハウスの先、
左側の小さな門をくぐった奥に見えてくるのでありますよ。
本来、アーレンツハウス経由でなくしてこちらに直接アプローチしますと、
小さな庭園を通り抜けてくることになり、天気が良ければそれはそれで心地良しでありましょう。
この日は見てのとおりのどんより空ときどき雨が続いています。
外はそんな具合にせよ、中は訪ねる観光客も少ないせいか、
実にいいかんじで古典から現代までの美術作品と向き合える空間でありましたですよ。
目のとまったものを振り返ってみようと思いますが、
要するに名の知れた画家ばかりでないか…となるのは
やはり単に知名度に左右されてしまったおるだけなのか、
はたまたそれだけ知られた作者の絵に引きつけるものがあるのか。
これは想像のつく方が多いものと思いますけれど、ヒエロニムス・ボスの作品。
1500年から1505年頃に描かれたとされる「最後の審判」です。
ちょっとクローズアップすると、なお分かりやすいですね。
近くには別の作者、例えばヤン・プロフォーストによる同主題作も展示されているものの、
異形の造形ではやはりボスの多様性には追い付かない気がしないでもない。
どうも「異形」が生き物というか、なまものというか、その辺に終始してしまいがちのところ、
物質といいましょうか、(当時における)機械のようなものものまで取り込んでいるあたり、
ウルトラセブンに登場した「恐竜戦車」なる怪獣の創造に匹敵するような飛躍度があるのでは
ないでしょうか(と、我ながら例えが飛躍してますが)。
気を取り直して、こちらはヤン・ファン・エイクの「ファン・デル・パーレの聖母子」です。
ヤン・ファン・エイクはブルッヘを終の棲家としていろいろと作品を残しましたですが、
これは超有名なアルノルフィーニ夫妻を描いた絵の2年後くらい(1436年)の作品ですね。
こうした装飾品の質感は大したものですよね。後にネーデルラント全体で栄える
静物画の追求するところをすでにしての印象がありますなあ。
続いてはハンス・メムリンクの三連祭壇画。
メムリンクはドイツ生まれながらブルッヘで活躍し、亡くなったのもここブルッヘなのですね。
残された作品をまた別の場所でも見ることになりますので、メムリンクのことはまたあとで。
で、時代はかなり跳びますが、知らずにいたのはもしかして失礼?という画家のお話。
まずは作品をふたつ続けて。
いずれも女性像を描いて(神話画や歴史画の類いには見えないものの)
新古典主義的な端正さが見てとれましょう。
年代的に(跳びと申し上げたとおり)1780年から85年頃となれば「なるほど」ではないかと。
作者はといえば、Joseph-Benoît Suvéeという人なんですが、そもそも何と読もうかと。
試行錯誤の結果としてたどり着いたカタカナはジョセフ=ブノワ・シュヴァでありましたよ。
でもってこのシュヴァさんですが、1771年のローマ賞選考では
あのジャック=ルイ・ダヴィッド の受賞を阻んだ男なのだとか。
受賞を逃したダヴィッドはショックのあまり自殺を図って未遂に終わったてな話もあるようで、
このときにダヴィッドが死んでしまっていたら、もしかしてシュヴァがナポレオンの御用画家に
なっていたのかも…とは歴史の「もしも」ですが、気を取り直した?ダヴィッドは1774年に
晴れてローマ賞を獲得するようで。知らないところでいろんなエピソードがあるものですねえ。
ちなみにシュヴァの作品がここにあるのも彼がブルッヘ生まれということからでありましょう。
パリに出るまではブルッヘで絵画修業を積んだようです。
とまあ、かなり端折り気味に振り返ってもまた18世紀末にしかたどりつきませんでした。
ですので、19世紀以降の作品を振り返るのは次の機会ということで。