銚子、銚子と言いながら犬吠埼 の話ばかりになっておりますが、

「せっかくだから銚子の街なかにも立ち寄るか…」となったのでありまして。


ですが、そこはそれ、個人的性向からしてどんなところに立ち寄ったかは

すでにしてご想像の範囲内かとは思うところですけれど、やってきたのはこちらであります。


ヤマサ醤油株式会社第一工場


すでに以前に千葉県野田市 の醤油工場(そちらはキッコーマン でしたな)を訪ねたりして、

野田の醤油造りは銚子から伝わったことを聞き及んでおりましたので、

より源流に近づいたといいますか。


ということで工場見学@ヤマサ醤油…なのですが、

土日祝は操業しておらないために工場の生産過程をたどる見学は無し。

まあ、プロセス自体は野田で見てますし、基本的には同じでありましょうし。


では、お休みの工場に何があるのかということになりますと、

「しょうゆ味わい体験館」なるものがあるというわけなのですなあ。


しょうゆ味わい体験館@ヤマサ醤油


団体さんが訪れると、この大きな仕込桶の前に並んで写真撮影となるのでしょう。

それはともかく、工場受付に申し込むとまずはビデオ上映の部屋へ案内されます。

そこではヤマサの「赤」へのこだわり(そこはそれ、企業がやってますから)とともに、

しょうゆ造りの歴史をおさらいできるようになっていたのですね。


頃は鎌倉の世、中国留学から戻った僧覚心は紀州由良に寺を開き、

中国で覚えてきた径山寺味噌(きんざんじみそ)の造り方を村人に伝授していたそうな。


あるとき、味噌を仕込んだ桶の底に溜まった液体を(なんともチャレンジングなことに)

舐めてみたところ、実に独特な味わい深さ。これが日本の醤油の始まりだそうな。


紀州で始まった醤油造りが千葉県銚子に伝わった。

銚子でヤマサが醤油造りを始めたのは、正保二年(1645年)のことだそうで。

つくづく銚子は太平洋を伝う日本列島の動脈の要衝であったのだなと思うところです。


ちなみに(前も書いたように思いますが)和歌山県にある勝浦や白浜の地名が

千葉県にもあるのは海を仲立ちにした両者のつながりを示すところでもあるわけですね。


醤油造りに関わる品々


ところで「しょうゆ味わい体験館」は、醤油造りに関係する展示物があったりもしますけれど、

その名のとおりに受け止めれば「醤油の味わいを体験する施設」となりましょう。

醤油を塗りながら手焼きせんべいを作る体験などもできるようになってましたが、

ここでは単純に味わいだけを求めることに。



ここへ来て外の選択はあり得ないようにも思うところながら、

当然にようにチョイスした「しょうゆソフトクリーム」。

ぼけた写真で色合いの妙が伝わらないのは至極残念ですが、

その味わいをひと言で言えば「塩キャラメルのようであるな…」というところかと。



おそるるに足らずと、今度は売店に移ってとことん醤油にこだわった品々の中から

選び出したのはこのひと品でありますよ。「千葉のしょうゆサイダー」です。



飲んだのは移動に掛かって後の車の中でしたですが、いやあ「きく~!」と。
口に含んだときにはさしたる抵抗は無かったことに油断して、
ごくりと飲んだ残り香を「ふう」と鼻に抜いてしまったら、さあ大変!
いかにも醤油といった香りが強烈に後から追っかけてきたのですなあ。
全てを一人で消費することあたわず、「平気、平気」と言う向きに任せたのでありました。



ときにヤマサ醤油のロゴマークには
あたかも寝癖で撥ねた髪のように「上」の字が乗っかっておりますが、
どうやらこれも伊達ではないということで。


何でも幕末の元治元年(1864年)、
物価上昇を抑えんと幕府が商人に「値下げをせよ」とのお達しを出した際のこと。
製品が優良であることを理由として値下御免のお墨付きを得たものが7つあり、
そのうちのひとつがヤマサの醤油であったそうなのですなあ。
「最上醤油」であるとの証がこの「上」の字というなのだそうでありますよ。


ということでヤマサ醤油の由緒はよおく分かったわけですが、
実は銚子市内にはもう一つ、ヒゲタ醤油もあるのでして、
前の晩に食した旅館の宴会料理に添えられたヒゲタ醤油の「本膳」、こいつは旨かったですなあ。


ま、ヤマサとヒゲタを比較してのコメントではありませんので、お含みおき願いたく。
いずれにせよ、銚子は醤油造りの町でもあったというお話でありました。


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