「ライン川近くに位置する工業都市」とwikipediaにあるからというわけではなしに、
ひとつにはドイツ有数の位置づけであるカールスルーエ工科大学があって、
科学史の中で知られる教授がいたり、その卒業生にも著名な人物がいたりするてなこともあり、
「工業都市」そのものというより工学の素養に結びつくような町なのかもしれんと思ったのでして。


そんなふうに思ったのも、工事中のマルクト広場にある市庁舎を訪ねたからでしょうか。
ロビーにはヴァインブレンナーの都市計画図が展示されていた…とは先に触れましたけれど、
そもそもそこに入り込んだのは自動車の発明者であるカール・ベンツがカールスルーエ出身で、
同じロビーにはベンツが作った最初のモデルのミニチュアが展示されていると聞き及んだもので。


カールスルーエ市庁舎


ただ、早々それを目当てに観光客が覗きに来るてなことは稀なのか、
入り口を入ると受付らしきところから「あんた、誰?」的な視線が飛んできたのですな。
「カール・ベンツに関する展示を見られますか」と尋ねてようやく相手の表情が緩み、
「少ししかないわよ」と返されたのですが、なるほど本当に少しでありましたですよ。


ですが、まずもって「おや?これは…」と思ったのが、どうみても自転車っぽいもの。
もしかしてベンツはここからスタートしたのか?と思いかけたところが、どうやらそうではないと。


カール・フリードリヒ・フォン・ドライスが作った自転車の先祖


説明に曰く、これはカール・フリードリヒ・フォン・ドライス(1785-1851)が作った
「laufmaschine」(直訳すれば走る機械)という自転車の先祖であるそうな。


先祖というのは、ご覧になって気付かれるとおり、
ペダルを踏んで車輪を回転させるようなメカニズムは付いておらず、
推進力はひとえに地面を足で蹴ることで得ているという。


1817年の走行実験ではこれで時速約15kmを出したというのですから、
かなりしゃかりきになって地面を蹴ったはず。
疲れる乗り物と移ったか、あるいは歩くより格段に速い点が注目されたか、
どうでしたでしょうかね…。


というこの自転車の先祖の発明者がカールスルーエ生まれだものですから、
ここに展示されているのでしょうけれど、もうひとりの発明家カール・ベンツ(1844-1929)も
カールスルーエ出身でかつカールスルーエ工科大の卒業生だということです。


wikipediaによれば、大学生の頃には自転車に乗り回していて

(その頃には自転車らしくなっていたのでしょうか)、
そこから自力走行する乗り物を作ろうと考えるようになった…とありますので、ベンツのその後は

同じカールスルーエ生まれのフォン・ドライスおればこそだったと言えるのかも。


で、そんな若き日の思いを40代になって実現させたのが「Benz-Patent-Motorwagen」。
三輪タイプの世界初の自動車の完成は1885年のことであったそうな。


このタイプは、ちょっと練習すればベンツの奥さんでも乗りこなすことができたといいますから、

最初からすでに実用性に秀でた製品をベンツは作り出したということになりましょう。


カール・ベンツ作「Benz-Patent-Motorwagen」


ときにベンツとは別にもっぱらエンジン開発に携わっていたゴットリープ・ダイムラーが

後に興した会社とベンツの会社が合併してダイムラー・ベンツ社が誕生しますけれど、

さらに後にはダイムラー・クライスラー社、クライスラーと離れてからはダイムラー社と

いつの間にやらベンツの名前は消えてしまった…。


とはいえ、高級車の代名詞ともいうべき「メルセデス・ベンツ」の名は不動であって、

それこそがカール・ベンツにとっても望むべき顕彰ということなのかもしれませんですね。


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