ところで、奈良井宿 が何ゆえに「奈良井千軒」と言われるまでの賑わいであったのか、
その辺は「木曽街道六十九次」の奈良井宿を描いた英泉の錦絵がヒントになるようで。
タイトルは「岐阻街道 奈良井宿 名産店之圖」というもの。
今でこそ奈良井宿といえば江戸期の景観をそのままに残すということで、
宿場そのものがクローズアップされるわけですけれど、
いくら大きな宿場町とはいっても結局のところ宿場は宿場。
ですので、英泉が奈良井宿(の近辺の名所)として取り上げたのは、
お次の藪原宿との間にある鳥居峠の図でありました。
なんでも中山道随一の難所とあって、錦絵でも峻嶮な山あいにあることが見てとれますですね。
ということで、奈良井宿は難所を目の前にして
英気を養うために一泊していく人が多かったということになるそうなんですが、
逆から考えれば反対側の藪原宿も同様であっておかしくない気もしてきますが…。
さて、この誰もが手前で足を止めたという難所の鳥居峠ですけれど、
旅人にも重要なポイントであったばかりでなく、分水嶺でもあるのだそうですな。
つまり鳥居峠を境に、南に流れ下ると木曽川となって太平洋へと注ぎ、
北に流れると奈良井川から犀川、千曲川へと合流し、最後には信濃川となって日本海に注ぎ込む。
なにやら急にスケールが大きな話に思えてきたものでありますよ。
実は宿場町の連なりの東側を川が流れておりまして、
木曽路といえば木曽川としか浮かばないところが、
よおく考えるとこの川は北に向かって流れているわけで、これが奈良井川だったのですな。
そして、掛っている橋が「木曽の大橋」というものだそうで。
特段の由緒があるてなものでは無いようですが、木曽だけに特産品を使った総檜造り、
そして橋脚のない太鼓橋としては「日本有数の大きさ」(奈良井宿観光協会HP)とか。
架橋自体は新しいとしても、近寄ってまじまじ見れば橋脚無しの木造橋には
伝統の技術がたんまり詰まっていそうな気配でありますね。う~む。
ちなみに橋のところから川を遡って行った先には、
かつて木曽路を駆け抜けたのであろうSLが展示してありました。
林業が大きな地場産業であった頃(今はどうなのだろう…)には
たくさんの丸太を積んで疾駆したりもしたのでしょうかね。
そんな雄姿を思い浮かべてしまったりするのでありました。