江戸川へと続く道


上花輪歴史館 の入口に面したこの道は、今でこそこんな感じでひと通りもないですけれど、
かつてはここに醤油を積んだ荷駄が行き交い、それなりの往来もあって賑わった通りだったようす。


と言いますのも、通りに面した高梨家の敷地の一端に高札場があったというのですから、
幕府のお達しを多くの人に知らせることが出来る場所であった証でもあろうかと。


上花輪高札場跡


そんな往時の面影は今では全くない道ですが、

上の写真の方向に真っ直ぐ進むと江戸川に突き当たるのですね。
船に荷を積み替えるのに便利なロケーションだったわけです。


と、ここまで来たらまた東武線の駅まで戻るのも芸が無いと考えたものですから、
江戸川を渡って埼玉県に入ったところでバスをつかまえようと算段したのでありますよ。


野田橋越えの江戸川渡河ルート


歩いたルートはこんな感じ。右側の丸く囲ったところが上花輪歴史館で、

道なりに行ってどん詰まりが江戸川の土手になります。


江戸川土手


この土手上を川を遡る方向に進んで行くと野田橋に行き当たるわけですが、
それよりもなによりも土手にたくさんの黄色い花が咲いているではありませんか!


こ、この黄色い花は?!


当然にして蘇るのは先日に利根川土手で対決したからし菜 軍団の邪悪な根っこでして、
ここでもまた猛威を振るっておるのか?!と思ったですが、
接近してみればこれはあぶら菜、つまりは菜の花であるような。


と言いますも、先日のからし菜との対決後に帰宅してから、
似たような黄色い花ながらからし菜とあぶら菜の違いは何ぞと検索したからなのでして。
その結果として得たところは、茎に巻きつくように葉が付いているのがあぶら菜であり、
からし菜はそうではないということ。


あぶら菜の葉


ここで接写を試みたものは確かに茎を巻いて葉がついているので、
あぶら菜であろうというわけですね。
ですが、場所によっては混在しているてなふうでもあり、一筋縄ではいかんようですが。


野田橋に到達


とまれ、そのような中を進んで行って野田橋に到達しました。
やおらこれを渡って行こうとしたのですけれど、どうにもこうにも風の強い日だったものですから、
余り欄干側に寄ると吹き飛ばされて江戸川の藻屑とされそうなようす。


はたまた車道側に寄ろうとすればガードレールの無いところを
ばんばん通り抜けていく大型車両に巻き込まれる虞無きにしもあらず。
全長395メートルという野田橋での渡河作戦は実に肝を冷やすものでありましたよ。


野田橋から見下ろす江戸川の流れ


しかしまあ、橋の中ほどから見下ろした江戸川は、
関宿で利根川から分岐したばかりよりも俄然川幅を増し、同様に河川敷も広大になって、
ここを醤油やら何やらの物資を積んだ舟がたくさん通ったのであるなあ…と思ったりも。


こんなところにバス停?!


橋を渡りきって程なく「こんなところに?!」と思う場所にバス停が。

上の写真で想像がつくかもですが、信号から近く一車線しかなくなっているところに

大型車両がばんばん通るのですからして…。


かなり交通量が多いからと予想したとおりに遅れてきた北越谷駅行きのバスに乗り込んで、
帰途に着いたのでありました…のですが、ここで乗り込んだバスの会社に「ん?」と。


なぜ茨急バス?


「いばきゅうバス?」って、茨城急行バスなのですなあ。
千葉県の野田市駅と埼玉県の北越谷駅を結んでいるのが茨城急行バスとは、これいかに。

元々は茨城県の古河市あたりの路線を運行する会社であったようですが、
野田の東武バス営業所が廃止されるときに路線を引き継いだということのよう。


微妙なところかと思いますけれど、
埼玉県内においては東武バス運行時に比べて、走っているのが茨急バスとなると
路線価がやや下がったりすることはありませんでしょうか。
余計な勘繰りとは思いますが…と、てなことを考えながら帰途に着いたのでありました。


ということで千葉県野田市を歩き回ったお話はお終いですけれど、
今度は両親を連れて青梅の方へ出かけてきますので、明日はお休みということになりまする。


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