いろいろなことごとに揺らいで書き出し逸れておりましたですが、
つい先日に千葉県野田市をぶらりとしてきたことを語り起こそうかと思いまして。


ということで「ぶらり野田紀行」というわけですけれど、
さほど長い話にはなりませんから、わざわざ題目立てるのは大袈裟なのですけれど。


そも「野田にも行こう」と思いましたのは、
昨年五霞から関宿へと出かけたおりに立ち寄った関宿城博物館
野田と醤油との関わりを解説する展示に接したことが一つあげられますね。


そういえば小学校の社会科見学で

野田の醤油工場見学があったっけなと懐かしく思い出したことも。


そこから野田には何ぞ面白そうなところがあるかいね?と検索していて、
「おお、こんな美術館が?!」と目的がプラスされたところで、
出かける機会を窺っていた…とまあ、そんな次第なのでありますよ。


ですが、機会を窺うほどの行き先であるのかという点が非常に微妙でして、
交通の便としては東京から放射状に敷かれている鉄道路線からちと横入りしなくてはならないため、
(大宮から、春日部から、あるいは柏から東武野田線に乗り換えなくてはいけん)
直線距離で遠いわけではないのに、妙に時間が掛かるという。


と、ここで東武野田線と言ってしまいましたが、この呼び方は古いようですなあ。
おそらくは東武伊勢崎線の近郊区間が東京スカイツリーラインと改称されたのと同時期に、
東武野田線は東武アーバンパークラインに名前が変わっていましたですね。


東武アーバンパークライン


車両も塗料で塗り包めたものでなくステンレスでスタイリッシュになってますけれど、
それにしても「アーバンパーク」ってのは…。


沿線の大宮、春日部、柏、船橋といった、今や野田より大きくなった町としては
「野田線」という名称に異を唱えたくなったのでありましょうか。


しかしながら、由緒のほどを紐解けば(今回、野田に行って初めて知ったことですが)
そもそもこの路線は野田を基点に始まったものであるそうなのですよ。
Wikipediaの記載を引いておくとしましょう。

千葉県は、東葛飾郡野田町(現・野田市)の醤油醸造業者から舟運に頼るだけの交通の不便さを訴えられたため、1910年(明治43年)8月3日に東葛飾郡千代田村(現・柏市) - 野田町間他1線について軽便鉄道敷設免許申請を鉄道省に提出した。建設費は県債を募集して充てることとし、醸造組合は20万円でその県債を引き受けた。

つまり、野田の醤油業者の出資あってこその鉄道であったわけですから、
そこらへんはむしろ語り継いでもいいのではなかろうかと思いますですね。


その点、野田市では意識されているのか、駅前から伸びる道路沿いの街灯には

こんな意匠が凝らされておりましたですよ。


野田市の街灯には蒸気機関車が…


とまれ、そんな東武野田線ならぬ東武アーバンパークラインに乗って、
野田市駅にたどりついたのでありますよ。ひとしきり見て廻りの始まりということで。


東武鉄道野田市駅

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