フランクフルトには観光客がわんさか押しかけるエリアがざっくり言って二つありますけれど、
そのひとつがレーマー広場で、もうひとつはツァイルというショッピング街。


ツァイルの方が後で別にちょこっと触れることにしまして、
ここではフランクフルト歴史博物館 からマイン川を背に街なかへ向かうと
すぐのところにあるレーマー広場に向かうことに。


レーマー@フランクフルト


フランクフルトで一番に昔の風情を感じさせるところでもあろうかと思いますが、
とりわけこの屋根が特徴的な建物が存在感を放っておりますね。
これがフランクフルト旧市庁舎であって、特に中央の建物が
「レーマー(Römer)」(見てのとおり「ローマの」と言った意味)と呼ばれるところから

レーマー広場というわけです。


正義の泉と聖ニコライ教会


広場に付き物の噴水は「正義の泉(Gerechtigkeitsbrunnen)」。
ヴォルムスの泉 のところで触れましたように、やはり正義を司るとなると天秤をもっていますですね。


ただし、ヴォルムスの方は男性像だったように見えましたが、こちらは正真正銘の女神。
ローマ神話の正義の女神であるユスティティア(英語のジャスティスの語源)の姿を象っています。


ちなみに泉の後ろ側に見える聖ニコライ教会は、
1290年に神聖ローマ帝国の宮廷礼拝堂として建てられたものだといいます。
そして、第二次大戦時の空襲で町中瓦礫の山となったフランクフルトにあって、
辛うじて完全崩壊に至らなかった建物の一つだそうで。


フランクフルト歴史博物館のジオラマ(部分)


歴史博物館で見た空襲後のジオラマ(先に載せた写真とは別アングル)でも
レーマー広場はこんな感じでありましたですよ(右側の塔のあるのが聖ニコライ教会)。


と、話は爆撃から遥かに遡ることにいたしますが、
フランクフルトは神聖ローマ帝国の帝国自由都市であったことは折々触れるも、
皇帝が選挙で選ばれていた時代にその選挙を行い、かつ戴冠式を行うのも
フランクフルトであったそうなのですなあ。いやあ、知りませんでした。


で、戴冠式の後には盛大なお披露目の宴席が設けられたようでありまして、
その会場となったのがレーマー(旧市庁舎)2階の大広間。


今では「カイザーザール(皇帝の間)」と呼ばれて、
歴代皇帝の肖像画がずらりと並んでいるてなことでしたのでちと覗きに。

ガイドブックによりますと、カイザーザールの見学入口はレーマーの正面から入るのでなくして、
左手に回り込んだ路地の方から入り、券売機で入場券を購入とあり、確かにこのような入口が。


カイザーザールへの入口は路地裏に


ただし、2015年8月29日現在(すでに古い情報ですが)その券売機は故障しており、
結局のところ正面入口から中に入った受付で券を買うようになっていたのですね。

そのまま目の前の大階段を上がって行けるのかと思えば、
カイザーザールへの道はやはり左手に回り込んだ門の方からアプローチをするとのこと。


カイザーザールへは螺旋階段を登って


再び戻ってかような螺旋階段を登り、中にいる警備員に入場券を見せ、
ようやっとカイザーザールに到着となったのでありました。


カイザーザール


がらんとした広間のままのときもあるようですけれど、
このときには何かの催しのための準備であるのか、可動椅子が広間を埋め尽くしている状態。
ここで皇帝たちが宴会をしたのか…といった感慨は湧きにくいでしたですなあ。


それらしさといえば、壁面に並んだ皇帝の肖像画でありましょうか。
基本的にどの皇帝も同じサイズの画面として描かれている中、
唯一の例外が上のホール内を写した写真で窓の隣に配されたもの。
見るからに大きめに作られているところからも別格扱いであることが分かりますが、
これぞカール大帝(在位768-814年)なのですな。


カール大帝の肖像画@カイザーザール


ですが、カール大帝(Karl der Große)と言うからドイツの祖みたいな気がするものの、
同じ人のことをシャルルマーニュ(Charlemagne)と言えば、フランスの祖みたいな気がしてくる。


だいたいカール大帝当時は神聖ローマ帝国なるものは存在しておらず、
滅亡した西ローマ帝国の代わりにキリスト教の庇護者が必要だったローマ教会が
フランク王国の国王をローマ皇帝の継承者とした…てなことで、
その頃にはまだフランスだの、ドイツだのということは無かったわけですね。


フランクフルトに来ていればなおのこと、
語呂的にもフランク王国はドイツに繋がるように思えなくもない。

でありつつも、ドイツ語ではフランスのことを「フランクライヒ」と呼ぶあたり、
ちと後塵を拝しているような気がしますから、あまり直系云々にはあたらずさわらず、
後に分裂してだんだん現在のようになっていったと考えれば宜しいのでありましょう。


…てな具合に、歴史の一端に触れるレーマー広場とカイザーザールなのでありました。


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