コッヘム を出て、モーゼル川沿いに遡っていく列車はトリーアという町に到着しました。
何でもローマ帝国以来の町であって、その時代の建造物が残っているのだとか。


ポルタ・ニグラという、その遺跡は見たはずなのに覚えてない。
むしろトリーアで覚えているのは、確かカウフマンという名の百貨店だったと思いますが、
そこのフードコート的なところで食した「カリーヴルスト」の方がよく覚えているというか。
ソーセージにカレー・ソースをかけただけじゃんとは思うものの、うまいもんだなあと。


これはもしかしすると、全行程の中でいちばん滞在日数を費やしたドイツから

いよいよもって離れるから…ということでもあったやも。
何しろトリーアまで来ると、もはやルクセンブルクは目と鼻の先、その先はフランスなのですから。


夕方にトリーアで乗った列車はやがてルクセンブルクへ。
といっても、ここで聞こえてきた「リュクサンブール」という言葉に「おおおお、フランス語かぁ!」と。

ルクセンブルクでは「ルクセンブルク」とは言わないんだ…と学習したと同時に、
ドイツにいるうちは僅かばかりの英語と第二外国語で少し力を入れただけのドイツ語のちゃんぽんで
何とかかとかしのいできたのに対し、「もうここからはだめだ…」と思うことにもなったという。


列車はそのまま進んでフランスへ。
昔ですから途中でパスポート・コントロールがあったはずなんですが、これもあんまり覚えがない。


それでもメッスというところまで来て、

パリ行きの夜行列車に乗り換えることには何とか成功したのでありました。


当然にして寝台車を予約してなんつう旅ではありませんから、
当時としては普通にあった2等車のコンパートメント(本来は6人掛け)で、
向かい合う座席の座面を双方引き寄せてできるベッドを独り占めすることに

まんまと成功したという意味でして。

そのまま眠っている間に列車は進み、目覚めたときにはパリに到着していたですが、

確か到着したのは東駅だったような。


取り敢えず身の回りのものは小さめのザックに移して、荷物をコインロッカーに押し込む。

そのときに水代わりにとトリーアで買ってあったワインのボトルをぐびぐびやったりしてたですが、
早朝ですからねえ、3週間旅して廻ってほどほどに小汚くなってるところへこれですから、
周りの目の胡散臭さは想像していただけようかと。


身軽になったところで、何となく歩く歩く。どこをどう通ったかは定かではないながら、

やがてはオスマン通りに出て凱旋門に行き着いたと思います。


で、実はですね、不思議なことにというかなんというか、パリに着く以前に約3週間、

ロンドンから始まって、イタリア、スイス、ドイツとぐるぐる廻ってきたものの、

パリで凱旋門を見たときに「ああ、ヨーロッパに来たな」と思ったのでありますねえ。


基本的にはそのときは、パリにもフランスにも凱旋門にも思い入れは無かったはずですし。

理由は全くわかりません…。

一方で、パリに朝着いて、

その日は指定されたホテル(最後の晩だけ予約されていた)に行くまでの間、
たぶんルーヴルに行ったり、ノートルダムに行ったりもしたのではないかと思うのですけれど、
全く行ったという覚えがない。覚えているのは凱旋門だけ。いやはや。


とまれ、かくして翌日はド=ゴール空港から飛び立ったエールフランス機上の人となり、
当時ですからしっかりアンカレッジに立ち寄って、帰ってきたのでありますよ。


初めての海外、しかも長い旅から帰ってきたと家に電話をしたときに、
「何が食べたい」と聞かれて、即座に「冷奴」と答えたのでありました。真冬ですのに…。(終)