千葉県立関宿城博物館 からはまた徒歩での移動で、今回の最終目的地へ。
おそらくはこの夏にリメイク版の映画「日本のいちばん長い日」が公開されると、
格段に知名度が増すことになるのではないかと思われますが、

終戦時の内閣総理大臣を顕彰する鈴木貫太郎記念館へ向かうのでありました。


実はその道筋がなかなかやっかいでして

例によってGoogle mapから切り出してみるとこんなふう。
ルート検索で上の方にある博物館から下の方にある記念館までの道筋がご覧いただけようかと。


関宿城博物館から鈴木貫太郎記念館への道のり


3本のルートが示されて、いずれも17~18分の歩きでさしたる違いはない。
ですが、どのルートを通ったとしても、何度か折れ曲がる曲がり角に何の目標物もないのですね。
何となれば、周りの風景はこんな具合だものですから。


関宿にも田んぼが広がって…


元は関宿藩の城下町であったと思しき辺りながら、

今ではすっかり一面の田んぼ、田んぼ、田んぼ…。


この位のところで曲がってみようかな…的に対処しながらも、
案外うまく進んでいるような予感を抱いていたところ、
「これはもはや道とは言わないのでは…」という箇所に突き当たる。


それでも、向こうに車道らしき道が見えてきたので「辿っていけるよね…」と進んでいった…
結果、よそ様のお宅の門を抜けて車道へ出ることになってしまいました(無断進入、ご容赦を)。


鈴木貫太郎旧宅跡


とまれ、そんな文字通りの紆余曲折を経て、
鈴木貫太郎記念館へと到着することができたですが、これはかつての邸宅跡。
真ん中の石碑には「終戦内閣総理大臣鈴木貫太郎翁終焉之地(吉田茂謹書)」とありまして、
記念館は門の左手から少し奥まったところにあるのでした。


鈴木貫太郎記念館@関宿


鈴木貫太郎は1945年(昭和20年)4月、戦時下の日本がにっちもさっちも行かなくなった時期に
昭和天皇(当時は今上天皇ですが)からの「組閣の大命降下」(つまり首相をやれと)を受け、
軍部は本土決戦に及んでも一矢報いんと考えている中、大御心(天皇の胸中ですな)を察して
戦争の終結へと向けてひた進んでいくのですね。


軍部の暴発を警戒して、時に迎合するかのように、時にはのらくらとかわし…そうした姿勢が
軍部にしても重臣たちにしても、また一般知識人たちにも得体の知れないものと移り、
悪く言われることもしばし。


鈴木自身としては全くぶれることなかったわけですが、そのことをいちばんよく分かっていたのは
かつて侍従長として仕えていた鈴木の人となりをよおく飲み込んでいた昭和天皇であったのではなかろうかと。


実は先ごろ岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」を見て、

何やら知れず違和感を抱いた…といったことがありまして。


日本のいちばん長い日 [東宝DVD名作セレクション]/三船敏郎,加山雄三,黒沢年男


「取材と証言」を積み重ねて終戦前夜を再現してみせる原作からして、

さきほど触れたような鈴木貫太郎の、ともすると「この人、徹底抗戦派なんじゃ?」とも

受け取れてしまう姿勢の真意は他人の証言に左右されて描きようもなく、

映画としては陸相の阿南惟幾(映画では三船敏郎)に油揚げを攫われたような恰好。

(このことは、上のDVDジャケット写真を見ても明らかでありますね…)


もちろんその時に阿南陸相が陸軍の尖がった勢力に果たした役割を忘れることはできませんが、
それにしても鈴木首相(映画では笠智衆 )が終戦内閣を牽引していたとは

およそ窺えない描かれ方。


リメイク版がどんな映画になるのかは分かりませんけれど(どうにもきな臭い想像ばかりで…)、
リメイク版にせよ、岡本版にせよ、映画を見るならば、考え方、受け止め方が凝固する前に
例えば小堀桂一郎著「宰相鈴木貫太郎」(ちなみに大宅壮一ノンフィクション賞受賞作)あたりに

当たっておかれた方がよろしいのではないかと。


とにもかくにも、ポツダム宣言受諾、終戦の詔書煥発、

そして玉音放送と一気に激動を収束させ、鈴木内閣は総辞職。

(これにも無責任との批判があるようですが、先ほどの一冊などを読んでご判断を)


しばらくは命を狙われる虞ありとの警察の要請もあり、

住まいを転々とせざるを得なかったようですが、元より関宿藩士の家系であった鈴木翁は

故郷(生まれは別地ですが)関宿を終の棲家としたという。


その場所に設けられた記念館は、何とも拍子抜けするほどに小ぢんまりとした展示でしたけれど、
取り分けわずかな愛用の品などを見ても、人柄を偲ばれる思いのするところでありました。


展示の中に、退隠後には産物の少ない関宿のため、若い人たちを集めて酪農経営を促し、
専門家を呼んで指導したり…といった説明があったものですから、
受付の方には「関宿は酪農で有名なんですか?」と尋ねてみましたですよ。


すると、臭いの問題でだいぶ少なくなったけれど、
川に近いほうではまだ牛を飼っている人はいますよと。
そして、旧宅のすぐ向こう側は牛乳の集積所なんですよという話。


集乳所新設記念碑?


写真では何が書いてあるかちいとも?とは思いますが、
「集乳所新設記念」といった文字が何とか読み取れる石碑がたっており、
「もしや?」と思って近付いてみれば、停まっているタンクローリーも牛乳用でありましたよ。


関宿の牛乳用タンクローリー


尋ねてみなければ分からないことにも触れて、
これはこれで来てみた甲斐があったものだと思いつつ、
記念館目の前のバス停から東武動物公園行きのバスで帰途に。


思ったようにはうまくいかないこともありましたですが、

五霞関宿をぶらりとした一日は満足すべきものとなったのでありました。