美術館への道
をご覧いただいてお分かりのように、
畑の中に忽然と姿を現すといったふうな群馬県立館林美術館にやってきました。
前回は山口晃展を見るためにわざわざという感じでしたが、
美術館が明るくモダン、広々してのんびりゆったり(人が少ない…)見られるのが気に入って、
差し当たり企画展がどんなのかはともかくも、館林に来たなら寄ってみようという次第でして。
まずはコレクション展示の方から覗きますと、彫刻作品を集めてありました。
テーマは「彫刻にみる『かたさ』と『やわらかさ』」というもので、
フランソワ・ポンポンの、同じ「シロクマ」というタイトルのブロンズ製と白色大理石製を見比べると、
何となぁく言わんをするところに思い至るような。
ブロンズに比べて白色大理石の方は(色が白いのでイメージしやすいこともありますが)
より柔らかさを感じさせるとともに、その滑らかな体躯は
今まさに北極海でのひと泳ぎから上がってきたかのよう。
基本的に彫刻は、日本語の字義通りに解釈すれば「彫る、刻む」でありますから、
当然にその対象となるのは硬い石、堅い木材、あるいは金属であったりするところながら、
こうした素材に手を加えることによって、「あらら、やわらかそう…」、「なんだかしなやか…」
てな印象を醸し出す作品にもなったりするのですよね。
ちなみにフランソワ・ポンポンの彫刻作品は、この美術館がコレクションとして力を入れているらしく、
美術館の敷地の片隅にはフランソワ・ポンポンのアトリエを再現した小屋が建てられておりまして、
屋内もそれらしく作業場然としたようすが眺められるようになってます。
(上のアトリエの写真は2013年12月に足利の帰りに寄ったときのものですので、晩秋の風情…)
ということで彫刻作品を見て回ったですが、作品そのものを見て面白いなと思うもの、
例えばフェルナン・レジェのレリーフ風の作品「花々の中の鳥」は、
レジェの絵画がそのまま立体化するとさもありなむだったりする…というものがある一方で、
作品は置かれたその場と一体的に周囲を含めてどう見せるか、作品が置かれることによって
どんなふうに周りの景色が違ったふうに見えるか…てな触媒的作品もありますですね。
ブルーノ・ロメダの「純粋な大円」はまさしく後者の作品でして、
線状のブロンズが単に大きな円を描いて置かれているだけながら、
中空となった円の中に見えるもののフレームとして周囲の景色を切り取って見せることにもなるわけです。
当然に立ち位置によって見えるものが全く異なってくるのでして、
一瞬間たりとも同じ見え方ではない。
展示室にあっては他の作品までも取り込んでしまう懐深さが感じられるのですね。
もはやこれはインスタレーションの世界でもありましょうけれど。
と、そんなふうな面白さを感じつつ常設展を見たあとだものですから、
「ダイアローグ -対話するアート」と銘打った企画展の方に転じても、
今回ばかりはどうも造形作品にばかり目が向いてしまったところでありまして。
例えば、バーバラ・ヘップワ-スの「アポロン」という作品(上の左はじ)。
太めの針金をくねくねっとさせて台に乗せただけともいえるもので、ぐるり回って見る間には、
「ここ、この辺からみると人の形にも見えなくない。これがアポロンかぁ?」とも思ったりしますけれど、
眺めやる位置、角度によってことごとく見え方が違うという点で、
先ほどのロメダ同様にインスタレーション的でもあろうかと。
ですから、無理無理?ひと形に見えるところがあろうがなかろうが、
如何様にも見えるというところは汎芸術みたいなもので、
だからこそ芸術の神でもあるアポロンという名付けに至ったものでもあるかなと
一人合点したりもしたのですね。
こうしたインスタレーション的なるものとは別に、
これまた興味深いと思いましたのはフランソワ・ラフランカの作品。
フランソワ・ラフランカはベン・ニコルソンの版画作品の刷りに携わった人だそうですが、
(本来的にラフランカはその技術を持ち合わせていなかったのに請け負ってしまったとか)
その刷りのプレスを活かした作品はユニークで、見飽きないものがありました。
プレスすることによって押し付けた陰影のようなものを浮かび上がらせるのは、
エルンストのフロッタージュにも類似するものではありますけれど、
ラフランカ作品には色付けは最低限のようでもあり、微妙なプレスの跡を見逃さないためには
どうしたって実物を見るしかない。
フライヤーから借りてきた上の写真の右側がその作品のひとつですといっても「?」でしょうし、
また図録で見るというのは楽しみ半減以下でありましょう。
展示の中にはミロほか有名どころの版画作品もありましたですが、
今回ばかりはその場で見ること自体が印象的な作品の数々に巡りあえたわけで、
もののついでのように立ち寄った館林美術館ながら、またまたお楽しみのひとときでありました。