科学の発展する先に夢を描けた時代がありましたですね。

その当時の常識からすれば途方もない考えに思えても、

確かにそんなのができたらいいな、そんなふうになったらいいね…みたいに。


それがSF小説やSF映画で描き出されて、

こんなのもありますよ、あんなのもありますよというのに触れるにつけ、わくわくしたり。


ですが、SFの世界ではこうしたわくわく側面とは別に

とんでもなくやり切れない未来になるかもという話がいつの間にやらてんこ盛りになっているような。


やり切れなくなっているその状況、そこに至ってしまう経緯は

それこそ手を変え、品を変えといったふうですが、

結局のところ、いい話、うれしい話、楽しい話ではないように思えるところかと。


それでも、その類いの映画が引きも切らないというのは

見る側にもそういう嗜好があるのかな…と思わないではないですが、

少なくとも個人的には無いものですから、SF系映画から結構遠ざかっている状況にあります。


だもんですから、2009年の映画ながら公開されたことすら覚えがない「サロゲート」という作品、

もしかすると例によって?ブルース・ウィリス の孤軍奮闘が笑えるかもしれないてな思いで、

たまにはいいかと見てみたのでありますよ。


サロゲート [DVD]/ウォルトディズニースタジオホームエンターテイメント


要するに「人型ロボット」のお話なのでして、

「なあんだ、いっぱい似たようなのあるじゃん」と思うところですけれど、

このロボットの斬新(?)なところは、「AI」を搭載していない点でありますね。


AIの組み込まれたロボットとそうでないロボットでは、

当然に前者の方が進化形、発展形であってそうでない方を斬新とはこれいかにですが、

未来を描くときに中途半端さを突き抜けて先の先にはこうなってるんじゃないのと描くのが

SFの醍醐味でもありましょうに、それをロボット単体では全くもって動けないところどまりで

話を作ることそのものが「斬新だぁね」と思うところなわけです。


ロボット単体では全く動けないとはいえ、

さすがに鉄人28号に正太郎少年がリモコンからビムビムビム…と電波を送ってたり、

腕時計型指令機で「飛べ、ジャイアント・ロボ!」と命令したりするほどにレトロではなくして、

も少しスタイリッシュな(?)システムにはなっていますですが。


映画ではこの人型ロボット「サロゲート」の普及(世界人口の98%が使っている前提)によって、

人間本人は自宅の部屋にこもりきりで、サロゲートの遠隔操作をするだけの世界になっている。

ですが、AIが付いていない以上、サロゲートに任せっぱなしにはできないわけで、

この中途半端感が何ともリアルな気もしますですね。


外に出る用事、つまり会社の仕事なんかもですが、これに

サロゲートに赴かせることの何がいいのかといえば、

例えば通勤途上に事故にあってもダメになるのはサロゲートであって、

修理するか、新しく買えばいい。当の本人は自宅でぴんぴんしてますし。

これは強盗に襲われるとかそうしたことでもおんなじで、要するに危険回避なのかも。


そんなふうに考えると、

AI搭載したロボットによってむしろ人間が下位に置かれるような話に比べて

「使い途、ありそうだな…」てな思いが湧いてくるやもしれませんですね。


ですが、地球上ほぼ全ての人間がどっぷりバーチャル・リアリティーに使っているのは

どうよ…というふうになってくるのですね。

つまり、美しい景色を見るのもサロゲートの目に映ったものが電送されて見ている、

聴くことも同様、触れることも同様、それってどうよ?というわけです。


美しい景色を写真で見たときに、「美しい」と思うのはいいとして

「行ってみたい」と思うことにもなろうかと。

それは実際にその場に身を置くことで視覚情報だけではない五感で感じてみたい

てなことでもあろうかと思うのですよね。


卑近な例でいえば、CDで聴く音楽と会場に足を運んで聴く音楽との違い、

多分にプラシ―ボ的でもあろうかと思いますが、やっぱり違うと感じるところでもあろうかと。


この映画を見て考える肝心なところは「ほどほどのさじ加減」ということなのかも。

他の映画では万能のAIを備えたロボットが出てきたりしますから、

サロゲート自体が「ほどほど」なんですが、そこのところではなくして、

サロゲートのようなものを実用化できるようになったとしても、

やっぱり人間がやることをほどほどに残しておくさじ加減と言ったらいいでしょうか。


安直に考えれば、何もやってくれちゃうのが便利と思いがちでありますね。

今の今を考えると昔は考えもしなかったインターネットなるものを便利に使ってたりしますが、

それを便利に使おうとしてPCの設定やら何やら格闘するのに時間がかかったり、

やれウィルスだ、ハッキングだてなことに労力を費やさねばならない。


こう言ってはなんですが、所詮人間がやることですから、

「全部」とか「完全」とかというもの(これを目指すのは構いませんが)ができたなんつうふうに

思うのは失敗の元であって、やっぱりある程度の「ほどほど感」は結構大事かもと

思ったりしたのでありました。