たまたま乗ったバスの中で耳にした「万引きは立派な犯罪です」とのアナウンスから、
以前のブログで日本語理解の難しいところをひとくさり書きましたけれど、
これもまたバスの車内アナウンスのお話です。
常々気になっていたことではあるんですが…。
近所を走る市のコミュニティー・バス。
停留所でひとしきり人が乗り降りした後に決まって流されるアナウンスがありまして、
こんなふうな言葉なのですね。
発車しますから、おつかまりください。
「バスが動き始めた時には揺れて危ないかもしれませんので、
吊り革などにつかまった方がいいですよ、お願いしますね」という意味なわけですが、
多少のひっかかりを感じるのが「発車しますから」の「~から」のところなのでありますよ。
これが「発車しますので、おつかまりください」というアナウンスであったならば、
間違いなくスルーしていたものと思いますので、引っかかりは「~から」と「~ので」との
ニュアンスの違いというになりましょうか。
そもそも「~から」と「~ので」に個人的な印象を裏付けるような違いがあるのか…
ということになりますけれど、コトバンクなるページで検索をしてみますと、
「大辞林(第三版)」による解説として、このような記載が見つかりました。
〔理由・原因を表す接続助詞「から」との相違について〕
「ので」は因果関係が客観的事実に基づいているような場合に用いられるのに対し、「から」は推量・禁止・命令・質問など、話し手の主観に基づくような場合に用いられる。
とまあ、分かったような、分からんような…でありますので、
それぞれの例文も引いてみることにしますと、こんな具合。
家族が多いので、出費もたいへんだ。
遅くなりましたので、失礼いたします。
ほしいから買ったんだ。
むずかしいからできっこないよ。
こうなってくると、両者には違いがあるなという気がしてきますですね。
「家族が多い」ことを理由として「出費もたいへん」とは、
わりと一般的(客観的)に理解できる因果関係になっている。
これに対して、「ほしい」ことを理由として「買った」というのは、
欲しくっても買わないことはあるわけで、
どれほど欲しいのかは客観的に判断できない、
つまり非常に主観的な理由ということになろうかと。
同様に「むずかしい」という方も、
「できっこない」までの難しさが客観的に共有できるようなものか分かりにくいとなれば、
やっぱり主観の問題であるということになるのでしょう。
ですが、困ったなと思いますのは「遅くなりましたので、失礼いたします」の例示。
これには例えば「夕方もすっかり暗くなってきた」というような状況があるのであれば、
話し手にとっても聞き手にとっても共有できる客観的理由となりますが、
そうした状況設定無しに「遅くなった」ことを無条件で共有できる(客観的である)とは言いにくいような。
そうなると、「~ので」の部分を「~から」に言い換えてもいいような気がしないでもないながら、
「遅くなりましたから、失礼いたします」ではやっぱり語呂が悪いかなとも。
「遅くなっちゃったから、帰るね」にはおよそ違和感が無いにも関わらず。
これは多分「失礼いたします」との敬語(謙譲語)表現をする際に、
「~から」という主観性を伴う前提を持ってくることが違和感の元なのやもしれません。
ですので、「遅くなっちゃったから、帰るね」には何とも思わないわけで。
…と、ここまで来て冒頭の「発車しますから、おつかまりください」というアナウンスに戻ってみますと、
「おつかまりください」と丁寧に言っていることとの組み合わせの悪さがあるのかなと。
これも(乗員・乗客共に仲間内としてですが)「発車すっから、つかまれや」となると、
それはそれでですよね。
それともうひとつ、「つかまってください」の理由として「発車する」ことが示されていますけれど、
この「発車する」という理由の部分が「俺が発車したいと思っているから」的な主観を前提にしたのでは
乗ってる方は「やれやれ」であって、ここは停留所での乗り降りが終われば当然に発車するわけで、
その点では共有されている認識であるものの、発車するタイミングは伝えんとね…が、
意図されるところでしょう。
てなふうなことから総合的に?判断して、
ここはやっぱり「発車しますので、おつかまりください」が妥当ではなかろうかと思うのですが、
いかがでしょう。
ここまでああだこうだ言っておきながらなんですが、「josh's journal」をお読みになられた皆さまの中には
「んなこと、言ってるけど、このブログの言葉遣いはいつもみょうちきりんではないの?」と思われる方も。
ま、そのとおりですので、否定はしませんけれど…(笑)。
(ここの部分の「ので」は客観的に共有されているものと思います)