新聞の書評を見ていて「あ、面白そう」と思った一冊を近所の図書館で蔵書検索したところ、
どうやら書評で紹介されていた文庫新刊ではないものの、
それの元となったと思しきものを発見!読んでみたのでありました。
タイトルを「世界飛び地大全」、
果たして世界中の飛び地を網羅しているのかは定かではありませんが、
なかなかに厚みのある一冊。
それだけに次々紹介される飛び地の経緯が次第にごっちゃになってくる嫌いが…とは、
単に老人力の発露かもしれませんけれど。
そもこの「飛び地大全」に目がいきましたのは、
最近たまたま、日本のとある箇所の飛び地状態を知ったからでありまして。
まあ取りあえず、こちらをご覧ください。
Googleでもって群馬県の桐生市を検索しますと、
文字検索の結果がずらり並ぶ右側に地図が出てくる、その部分の画像です。
桐生市に該当する部分が線で囲われているわけですが、
真ん中に「みどり」と書かれた上部、左右に実線で囲まれたところがあり、
これが桐生市であると。
ですが、どうみてもひとまとまりにはなっていませんですね。
右半分と左半分は完全に分断されていて、間にはみどり市というのがあるという。
「平成の大合併」なる嵐(?)が吹き荒れた際に、近隣で協議を始めたものの、
相調わずという結果であろうとは推測されますが、どうしてこんなことに?でありますよね。
それでも幸いに同じ国の中、同じ県の中ではありますし、
右半分の桐生から左半分の桐生への行き来に、みどり市が敢然と立ちはだかって…
てなことがあるはずもなく、何とかなっているのでしょう。
されど、これがもし桐生連邦とみどり共和国てな、違う国であったならば…。
ということで「世界飛び地大全」に興味を抱こうというものでありますよ。
改めて思いますのは、飛び地ってこんなにもあるのだぁねということ。
そして、アジア、アフリカ、南米のそこここにある飛び地が、
なぜ飛び地となったのかを辿るとき、結局のところそのほとんどに帝国主義の影があり、
今でも先進国として世界を何食わぬ顔でリードしているイギリス、フランス、
そしてオランダ、ポルトガル、スペイン、出遅れ組としてはドイツ、イタリア、ベルギーといった
ヨーロッパ諸国が関わった結果そんなことになってんでないの!というわけです。
例えばそれらの国々が植民地支配を容易ならしめるために、
支配地の人々が一枚岩では手に余ると、時には部族の違い、時には宗教の違いにつけ込んで、
片方を優遇したかと思えば、手のひらを返したようにもう片方を支援してみたり、
互いの対立をあおるようなことをしてきたという。
インドあたりでも、ガンジーはイギリス支配の及ぶ以前のまとまりとしての
インド独立を願ったようですけれど、イギリスのとったやり口のせいで
ヒンドゥー教徒とムスリムが敵対した結果、インドとパキスタンというふたつの分断国家が
できあがってしまった。
しかも、独立当初は先程の桐生市とみどり市ではありませんが、
インドの左右をパキスタンが挟み込む構図ができあがってしまい、
パキスタンのでっかい飛び地と見えた東パキスタンは後にバングラデシュとして独立する
てなことにもなっていったわけですね。
そうした分立状態があってしかも、いまだにインドとバングラデシュには
双方の国の中に双方の飛び地が無数にあるのだといいます。
なんでって、イギリスがとやかく言う前はなんとなくインドという括りの元に
ヒンドゥー教徒もムスリムも混在みたいにいたわけですから、
それを宗教の区分けで無理やり国境を引いたら、インドではムスリムの村が飛び地になり、
バングラデシュではヒンドゥー教徒の村が飛び地になる…てなことも起こってしまうでしょうから。
植民地支配の後始末的な大義名分に使われる「民族自決」というのも、
その名分のもとに独立国家を作ることが権利のように言われたですが、
(…と、かつてゼミの論文で民族自決権のことを書いたものが言うのも何ですが)
果たして民族とは何ぞ?どれほどの区分までを民族とみるか、
そして要するに共存できないことを前提としているかのような民族自決の権利とはいったい?
てなことに思い至るのでして、仮に違う歴史をたどっていたなら、
こうしたこぢんまりと(他との区分けを当たり前として)まとまる権利みたいなものに
どれほど重きをおくことになったろうかとも。
まあ、植民地支配のことばかりではないですが、
人は自分よりも劣等な存在があることで自分のポジションに満足する…みたいな側面があって、
弱者を生み出す構図になってますね。
それが民族自決権を正当化しているように思いますが、
そもそも自己満足のために他を貶める、差別するてなことが無ければ、
全く違った世界ができあがろうというものではなかろうかと。
そも「国」というものは、
そこに暮らす人たちが住みやすくあるための括りと考えた方がいいでしょうに、
どうもまず先に「国」ありきの考え方をするものどうしたものか。
何だか飛び地の話でなくなってきている気もしますが、
そんなあれこれを考えることにもなった「世界飛び地大全」でありましたですよ。