五老ヶ滝
の滝壺に至る急降下を登り返して、滝を見下ろす場所まで戻ってきました。
滝壺までの登り降りがしんどい向きには、ここから眺めるのがいいようですね。
と、「ここ」と言いますのは、
滝から落ちた水流を跨ぐように掛けられた吊り橋の上でありまして、
渡る面には隙間がありませんので怖さはさしてありませんけれど、下を覗き見ればそれなりに…。
こうして一度通潤橋を渡って越した流れを吊り橋で渡り返して、ぐるり戻って行く道すがら。
水流は遥か下にあったわけですが、この高台にあっても斜面を余さず利用して稲作が行われている。
当然に水が必要になるわけですが、
通潤橋によって対岸の高台も文字通りに潤いの通う地になっているのでしょう。
ちなみに「通潤橋」の名の由来は、「易経・程氏伝」に出てくる
「沢在山下 其気上通 潤及草木百物」から取られたそうでありますが、
なるほど「草木百物」というだけあって、稲穂の緑ばかりでなく花々も目を楽しませてくれておりました。
ということで、辺りをひと回りして再び通潤橋のたもとに戻ってきました。
放水時間が迫ってきた関係で、徐々に人出も増してきたようですね。
ところで、この通潤橋を見降ろす場所ですけれど、ここにはかつて岩尾城という城があり、
その二の丸だった場所があたかも展望台のように。
さらに北側にもそっと高いところがあって、本丸が置かれていたそうですが、
加藤清正
が熊本入りする前、佐々成政が手を焼いた肥後国人はこうした山城を楯に
割拠していたのかもしれませんですね。
で、話を通潤橋に戻しますが、通潤橋を通して渡すべく引かれてきた水はこの流れ。
6kmほど離れた川から引いてきているのだそうです。
先にある水門状のところで分岐して通潤橋へと導き、
余った流れは右側を通り抜けて、下の川へと落としてしまいます。
そんな仕組みを見ているうちにも、さあていよいよ、放水の開始。
取水口からの高低差で水圧を掛けてあるせいか、吹き出し方は実に見事なものでありますね。
まかり間違って、吹き出し口に手でも出そうものなら
「さようなら~!」でありましょう。
予め放水を担当するらしきおじさんに放水時間を尋ねると「15分から20分ほど」とのこと。
その間に上から眺め、下から見上げるのに移動するわけですが、
橋近くの下り切ったあたりは水しぶきがかかる、かかる。
橋から離れるに従って、ということは時間が経過するに従って勢いは衰えてきますが、
これまでの様子を見ていて思うのは、通潤橋の放水は「祭り」にも似たものだなと。
始まる前のわくわくどきどき。一旦始まれば、狂喜乱舞(とは大げさですが)。
そして、徐々に終息に向かうにつれて、高揚感が覚めていき、寂しさにも似た気分になる。
吉田拓郎ではありませんが「祭りのあとのさびしさは…」というわけです。
道の駅の駐車場の辺りまで達したときには、かなり吹き出しも弱まって、
祭りの終焉といった具合。
ですが、この「祭り」はわざわざ熊本までやって来た甲斐のあるものであったなと思いつつ、
逃すと2時間はやってこない路線バスに乗り込んだのでありました。