夏になると決まって「怪談」の類いがTV番組を賑わしたりしますけれど、
個人的には怖い話が至って苦手でありまして…。
これを我ながらどうした心理に基づくものであるか?と考えてみるに
「想像力が(無意味に)旺盛である?」とか、
もしかしてそもそも「霊感が強い?」とかくらいのことしか思い浮かばず。
で、前者はともかくとして仮に後者である場合には、
強いも弱いも「霊感」なるものの存在を認めることになりますから、
感じる対象物もまた「ある」ことを前提としなければならない。
つうことは、「いる」ってこと?…と、結局マッチポンプ的に
一人でまた怖がったりしてしまうのですね。
もう一つの可能性としては「考え方が古い」ということがありましょうか。
これならば、「あやかし」の存在を肯定も否定もせずに何となく「いそうだ」てなレベル。
昔の人はもそっと積極的に考えていたかもですが、とまれ、そうした古い記憶のようなものが
こびりついているのやもしれませぬ。
と、そんな思いにたどり着きましたのは、東京は京橋のLIXILギャラリーで開催中の
「背守り 子どもの魔よけ」展を覗き見たからであります。
まあ、内容的にと言いますか、想像させるところを予め考えていれば
わざわざ出向くものではないのでして、通りすがりに立ち寄ってみたらやっていたということで。
ある程度高い年代の方であるか、
もしくは古来の習俗を引き継いできている土地柄に生まれ育った方なら
(個人的には全く知りませんでしたが)ご存知なのでありましょうか、「背守り」なるもの。
例えばこのようなものであるようです。
着物の背の部分に何やら糸が付いているのが見えましょう。
こうしたものが「背守り」であるのだそうですよ。
シンプルな幾何学模様を糸で縫い付けるのが基本のようですが、
バリエーションとしては上の写真のように、読み終えたおみくじみたいなものをぶら下げたり、
さらに凝ったものでは押絵状に盛り上がっていたり、下の写真に至っては
何かのキャラクターのぬいぐるみでもくっつけちゃったのか?!というものまで、さまざま。
子どもが着物を着なくなった(まあ、大人もですが)せいもあって、
こうしたものをとんと見かけることがないわけですけれど、
そもそも「背守り」とは何ぞやとなれば、文字通りに「背中を守るまじない」ということに。
では「何故背中なのか」ですが、そりゃあ後は見えませんからねぇ、
何も「あやかし」に限らず気をつけないといけませんから…と一人合点しかかったところ、
どうやらそれほど単純なことではないようす。
ちと長いですが、会場の解説から引用させてもらうことにいたします。
…背は、「うしろ」の世界を想起させる。中世以前、人びとが「うしろ」としてイメージしたのは戌亥(北西)の方角で、そこには「鬼」が棲むとされた。この空間は、祖霊、悪霊、自然界の様々な霊が自由に行き来できる領域であった。霊はそこから手を伸ばし、生者を己の空間にとりこもうとすると考えられたのである。
こうしたことを読んだだけで、
思い出したくもないのに「うしろの百太郎」という漫画が思い浮かび、
つのだじろう繋がりから「恐怖新聞」や「亡霊学級」といったものまで
一気に記憶の底から蘇ってくる。あな怖ろし…。
「うしろの百太郎」はともかく、このような考え方があったと同時に
「着物」というもの自体も「霊魂を包み宿す呪具」とされていたようで、
その背の部分はまさに「うしろの世界」との境界線に当たると考えられていたようです。
ですから、そのぎりぎりのところに「ダメ押しの御守りを!」というわけで、
背守りが付けられてきたのだということのなのですね。
しかし、背守りは「子どもの魔よけ」であって、大人には必要ないんでしょうか。
大人だって「うしろの世界」は敬して遠ざかりたいものですが…。
これは、子どもの霊魂はひょっこりあっちの世界、こっちの世界とふらふらしてしまう
可能性があると考えられたところからきていて、大人にはもうそうした心配はないのでしょう。
一概に大人が人間として安定しているとは言い切れませんが、
一方で子どもはやはり人間(なるもの)としてはまだ固まっていないが故に、
今なら発達心理学とかで解き明かしてしまいそうなことの理屈が分からない時代には
子どもは「魔よけ」をしておかないと、「魔の世界」に持っていかれてしまうと考えたのでしょうね。
ところで、いろいろな「背守り」のバリエーションが展示される中で、
これならそうそうあっちからも手を出すことはできまいというものがありました。
「背守り」のデザイン自体も凝ったものになってますが、それよりなによりこの着物の布地です。
アルファベットが描いてあって、真ん中左手あたりから一文字ずつ拾っていくと
「J」「O」「A」「K」…JOAK!
東京放送局(NHKの前身)のコールサインではありませんか。
「背守り」という中世以前から見られると言われる習俗は
連綿と昭和初期まで伝えられたとのことですけれど、
こうした日本の風俗とは異質な記号(アルファベット)のついた着物を見て
「うしろの世界」の「あやかし」はさぞびっくらこいたことでありましょう。
東京放送局は1925年(大正14年)の開局。
背守りの伝統が廃れ始まる頃合いとまさに同時期であるとは不思議なものでありますね。
ま、偶然でしょうけれど。
ちなみに余談ですが、「JOAK」が東京放送局のコールサインなら、
同年に続いて開局した大阪放送局は「JOBK」、名古屋放送局は「JOCK」だったそうな。
生れ育ちは東京だものですから、馴染みがあるのは「JOAK」だけですが、
大阪圏あるいは名古屋圏の方々にはむしろ「JOBK」や「JOCK」の方が
お馴染みなんでしょうかね、もしかして…。