まあ、またまた日本語の使い方でどうでもいいような話なんですが、
気になるといえば気になるものですから、取りあえず。
今まさに夏本番になりましたですが、
それ以前から折に触れて「降れば土砂降り」的な雷雨に見舞われるなんつうことがありました。
通勤で最寄駅までは基本的に自転車で乗り付けているものですから、
夕刻に降られると自転車を置いてこなくてはならない。
途中で降られようものなら、自転車を降りて傘を差して…となってしまう。
まあ、平気の平左で傘を差したまま自転車に乗っている人はごくごく普通に見かけ、
むしろ降りて傘を差して歩くなんつうことをやっている人は、
自分以外にはおよそ見かけることはないわけですが、
知っている人は知っているように「自転車の傘差し運転」は
2009年7月の東京都道路交通規則の改正によって禁止されているわけですね。
もっとも、自分が降りて傘を差すのは何も規則違反だからというばかりでなく、
禁止された本来の趣旨のとおり、例えば突風などで煽られた場合に自分も危ないし、
廻りを巻き込んでしまうかもしれない、そして視野が狭まることによる危険度も増すといった
あたりでしょうか。
と、この自転車の傘差し運転が規則違反でどうのこうのということは
前にも書いたと思いますので、これ以上深入りしませんですが、
ここでの注目点は自転車を降りて歩くときに、
「自転車を引く」というのか、「自転車を押す」というのかということなのですね。
個人的には、こうした場合に自転車を押しているという意識しかなかったものですから、
ごくごく近しいところで「自転車を引いていく」という表現を耳にしたときに
とってもびっくらこいたものでありますよ。
考えてみるに、「押す」なのか、「引く」なのかはその対象と行動主体の位置関係に
関わっているのではないかと思いますですね。
「引く」といった場合、その対象物は、引く主体よりも引く方向に対して後ろにあり、
「押す」という場合に、その対象物は押す主体よりも押す方向に対して前にあるのではないかと。
ですから、「ヴォルガの舟歌」を歌いながら「♪えいこーらー、えいこーらー」と引っぱられる船は
引っぱる船曳人足(あるいは馬か?)=主体に対して、明らかに後ろにありますから、
この場合は「引く(曳く)」で疑問の挟みようもない。
では、リヤカーや大八車はどうかというと、
確かに持ち手の横棒だけを考えれば、主体よりも前にあって
横棒だけを言うなら押しているとも言えないことはないですが、
やっぱり移動させるべき本体部分は後ろあって、やっぱり引いているが馴染むような。
もし押していると表現すると、
荷車の後ろ側に廻って(前に引いている人を助けるように)押しているというイメージでしょうか。
と、ここまで来て自転車に話を戻しますと、
移動させる対象たる自転車と動かす主体の位置関係を思い起こしてみれば、
主体に対して前にあるのは前輪の前の方だけ、
後ろにあるのはサドルから後輪の全部ということになり、
割合で考えれば主体の後ろ側の方が多いわけですね。
つうことは先ほど来の考え方からすると、
自転車は「押す」というよりも「引く」ものである、てなことになってしまうのか…。
それでもですね、あくまで個人的にはですが、
自転車は「押す」もののような気がしてならんのですよ。
何とか釈然とさせられる説明のようなものはありませんですかねえ。
…と、ここまで書いてちょいと寝かせているうちに、ハタと気付いたこと。
荷車よりももっと自転車のシチュエーションに近いと思われる状況であります。
自動車がエンコしたときに(って、今ではおよそないのかもですが)、
前扉を開けた状態で外側に立って車を「押す」。
主体と対象の位置関係で言えば、主体の立ち位置は車の真ん中よりはやや前方であろうと。
それでもやっぱり「押す」であって、これを「自動車を引く」とは言わないでしょう。
おそらくは主体の前に出張った部分に意識を置くと、
やっぱり「押す」と言って差し支えないのでしょうし、感覚的にズレてるということもないですよね。
ということで、自転車の場合、個人的にはやっぱり「押す」がぴったり来るわけですが、
はて個人差、地域差なんかもあるのでありましょうや…。