梅雨時とは雨がしとしとと降り続いて…というイメージなのですけれど、
どうも近頃は必ずしもそうでないようで、先日などもざっくり積ってしまうほどの
雹に見舞われた地域がありましたですなぁ。


そこまで酷くはなくとも、明らかにこれは梅雨というより夕立だねという降りは
まま見受けられますし、いったい気象状況はどうなってしまっているのかと
思うところではなかろうかと。


まあ、そんな雨降りの中にあって、ひと雨降って涼しくなることもあれば、
妙にほこりっぽい空気が立って蒸し暑く…てなこともありますですね。


後者のような場合に、傘を差して外を歩いておりますと、
ところどころで妙に温気のこもった場所というか、空間に行き当たることがありますが、
当然にその場、その空間には、視覚的に何も見えないにも関わらず、
間違いなく熱だまりのようなものが「ある」と知覚できるわけです。


一般的にも「熱がある」という言い方をしますけれど、
「熱」そのものがそこにあるのではなくって、熱気を帯びた何かしらがあるのが本当で、
先ほどの熱だまりを通り抜けるときには、そこには熱を帯びた空気があるわけですね。


空気は見ることができませんので、普段はその存在すら忘れていますけれど、
こうしたときに「ああ、空気に取り巻かれているのだな」と思ったりもすることになります。


こうなってくると、改めて思うことですが、
目に見えないからといって存在を否定することはできないということでありましょうか。


これは何も視覚の点ばかりでなく、五感の他の感覚においても同様、
はたまた五感総動員をしてもなお知覚できないからと言って、
やはり存在は否定しえないとも言えますですね。


そうした否定しえないことの一つに「次元」、
もそっとはっきり言えば四次元、五次元…といった多次元があるのやもしれません。


人間は(何も人間に限った話ではありませんが)

縦横高さにも置き換えられる三次元に生きていて、
これは感覚的にも理解できるところですけれど、時間という軸が四次元目であるてなことを
云われたとして、それを縦横高さと同じように受け止められるられるかと言えば、
「無理~」と言わざるをえない。


それだけに「四次元」と言われたときに思い浮かべるのは、SF的な世界であって、
例えるならば「鏡の向こうの世界」てなふうな言い方もあるかもしれませんが、
要するに分からない世界なわけですね。

それが、さらに多次元のことを引き合いに出されても、ついていけん…ということに。


ところで、宇宙空間にはブラックホールというものが存在していますけれど、
(知識として知っているに過ぎないものですが)
このブラックホールを人工的に作れるかもしれないという話があるようです。


ヒッグス粒子の存在が確認されることになった実験装置を使って、
「ミクロの世界で重力が強ければ、ブラックホールができる」と名古屋大学の教授が
新聞コラムに書いてましたですよ。


しかしながら、小さな小さな空間でかつ強力な重力、
簡単にいうと小さいのにとんでもなく重いものが存在する状況というのは、
もはや三次元の縦横高さというベクトルだけでは足らず、
それを上回る4番目、5番目のベクトル(つまりは四次元、五次元)といったものが
必要になるのだとか。


要するに、もしもブラックホールを作り出すことができたとしたら、
それによって四次元、五次元といったものがあるのだということの証明になるというのですね。

当然に見えないどころか、五感総動員でも全く知覚できないながら、
厳然と「ある」ことが示されるのだというわけです。


感覚的には「そんなことを言われても…」と思わないではありませんですが、
雨の中を歩いていて、やおらむわっとした感覚に取り巻かれ、
「ああ、ここに熱を帯びた空気があるのだな」と思うような、間接的な知覚の仕方といいますか、
そんなものがもしかすると多次元を知覚する方法としても、実はあるのかもしれませんですね。


鬱陶しい時期に、思いがけずも難しいことを考えてしまいましたですよ。