出光美術館で開催中の「日本絵画の魅惑」展、
同館所蔵の選りすぐりの展示ということで見て来たのでありますよ。
江戸期「誰が袖図屏風」の、誰もいない(描かれていない)室内で
ただただ衣桁に衣装が掛けられているだけの図柄には、
屏風というものが本来的には室内の間仕切りであることからすれば、
ある種のだまし絵のような妙を醸すものであろうと思われたり、
酒井抱一の「八ツ橋図屏風」ではそのパステル調の見目が、
尾形光琳の絢爛さに比べて現代的にも思われたり。
あれこれ面白い面がありましたけれど、
ひとつ「ふぅ~ん」と思いましたのは、宮川長春の描いた「立姿美人図」というもの。
個人的には江戸期の美人画と言われるものは苦手でありまして…というのも、
昔の年配者が外国映画を見ていてもみな同じに見えて誰が誰やら分からないと言うのにも似て?
それこそ描かれている女性がおよそ皆同じようで区別がつかないものですから。
ですが、ここで見た「立姿美人図」はパターン化された典型的美人からは逸脱して
個性あるものなのではなかろうかと思ったのですね。
簡単に言ってしまいますと、顔立ちにしてもむしろ今風に近いですよね。
先頃NHKのアートシーンだかで紹介されていたように、
美人画といっても、江戸はこうだったけれど、上方ではまたひと味違う美人画があった…
てなことが紹介されていましたけれど、江戸は江戸で必ずしもひとつの類型一辺倒では
なかったのだなぁと思い至ったような次第です。
ただ美人画における女性像のパターン化というのも、
要するに「ウケの良さ」の問題でもありましょうから、
江戸の男衆はよく見られる姿かたち、上方の男衆はまた別のタイプが
好みだったとも言えるのでしょうか。
直接的に見目の話ではありませんけれど、寛文美人図のひとつとして展示されていた、
やはり女性ひとりの立姿を描いた作品の、そのポーズが「見立伊勢物語・河内越図」に見られ、
おそらくは芝居の一場からの借り物ポーズでもあろうというお話。
伊勢物語
の河内越は、男が浮気に出掛けることはばればれながら、送り出す女が歌を詠むと
その歌の出来栄えに絆されて男は出掛けるのをやめてしまうという一幕。
男を思いとどまらせる点で、このヒロインは多くの女性の憧れの的でもあったようす。
これを芝居で演じたとすれば、
その受けのいいヒロインのポーズが「見立図」に使われるのはもとより、
ただの「美人画」でもこのポーズで描くとそのまま受けがよかったてなことにもなりましょうか。
ポーズでもそうなんですから、もしかしたら美人の類型化された顔形というのは、
もしかするととんでもない売れ筋であった役者の似姿から始まったのかもですね。
時代的に当然にこの役者は男の女形であったことでしょう。
もしかすると、江戸期の美人画に女性らしい優美な肉感が全くないのは
こうしたこととも関わりがあるような気もしてきてしまいます。
もっとも、露骨に肉感的な描き方でもしようものなら、即座に検閲対象でもあったでしょうけれど。
とまれ、美人画にもいろいろあるということを念頭に、
食わず嫌いはやめて機会ごとに美人画にもじっくり向き合うようにしてみようかいね…
と思った展覧会となったのでありました。