東武鉄道の茂林寺前駅 からザ・トレジャーガーデン館林まではちょっと距離があるものの、

途中茂林寺を通り、その裏手の茂林寺沼湿原の遊歩道を抜けていくものですから、

さほど苦になるほどではありませんでした。


経路がこういう具合ですから、分福茶釜ゆかりの寺・茂林寺には

そりゃあやっぱり立ち寄りますですよね。


茂林寺総門


折しも夏を思わせるお天気でもあり、ご存知のように館林は

「あついぞ!熊谷」と開き直り的キャッチフレーズで有名な(?)埼玉県熊谷市と競い合う

暑さ自慢?の町ですから、いかにも古刹然とした境内の木立で一休みもよからんという具合。


始まりは応永三十三年(1426年)、美濃の出である大林正通が諸国行脚の折に

上州館林に至って小庵を結んだところからという由緒でありますけれど、

総門から山門に至る参道に沿って、ずらり置かれた狸の像。

茂林寺の名を知らしめているのは、どうしたってこれでありましょう。


茂林寺参道


中には茶釜に化けた狸が半分正体を露わしている像もあって、

昔話の「文福茶釜」を思い起こせば、なるほどと思わないこともないですが、

この寺に伝えられるのは「分福茶釜」であって、しかも狸が化けたのではないことになってます。


先の大林正通が伊香保 に差し掛かった際、守鶴という老僧と出会い、

これを伴って館林に至るのですけれど、いくら汲んでも湯が尽きない「分福茶釜」は

この守鶴がどこぞから調達してきたものとのこと。


では、狸との関わりはとなれば、

何とこの守鶴和尚こそが狸(狢とも)の化身であったそうな。


ですから、拝観料を納めて本堂に上がれば一室に

(年代物の金庫の方に目がいってしまいそうな中に)茶釜が安置されていますけれど、

そもそも茶釜が狸の化身であるとか、はたまた半化けの茶釜狸が綱渡りの芸をするとか、

その辺りのことは明治になって巌谷小波が仕立てた童話でのお話ということであるようです。


寺の伝承はそれとしても、面白おかしく仕立てた話が有名になったことに

むしろ便乗しているのか、境内の隅には巌谷小波の碑が建てられておりましたですよ。


巌谷小波 童話碑@茂林寺


左側の碑文にあるのは、巌谷作による童話「ぶんぶく茶釜」の一節。

「ブンブクブンブク音がする」で始まるこの話では、

実のところ音の正体は判然としないままに化け狸と見破られてしまうことになっていて、

巌谷版をまとめる以前からある程度の筋は人口に膾炙していたのではと思われますですね。


一般的には、狸が化けた茶釜は火にかけずともどんどん勝手に湯が湧くことになっており、

「ぶんぶく」とは湯のたぎるようすを表現していることになっている。


何もしないでも湯が湧くのが特徴なのに、

これを知らない寺の小僧がで火にかけたから、さあ大変。


熱くて狸は化けてなんぞいられたものではないと露見するわけです…が、

先ほども触れたとおり、ともすると40度超えにもなる酷暑の館林なだけに、

伝承の茶釜が化け狸としたら、辛抱たまらんと逃げ出してしまったかも。

となれば、やっぱり狸が化けたのは守鶴和尚という寺伝に分がありましょうか。


しかしまあ、そうした暑さに備えてでありましょうか、

総門のところにおられたボランティア・ガイドの方が拝観する人たちに

団扇を配っておりましたですよ。


ぽんちゃん団扇

団扇の図柄は館林のゆるキャラ「ぽんちゃん」。

まあ、信楽焼の狸よりは可愛らしくしたとは思いますが、

本堂の狸コレクション室(かなりやる気のない展示風景…)にある本物の狸の剥製を見るにつけ、

どうして狸の姿形はかように広まってしまったか、さぞや狸は怨んでおろうなぁと。


狸の名誉のために言えば、精悍な顔つきをしていますし、

それに昔話の言い伝えの原型は「狸の恩返し」的なものであるらしい。

と、思わず狸擁護に回ってしまった茂林寺詣でありました。