蒲原駅からぶらり東海道を歩いて由比宿に入った わけですけれど、

ここの中心地はやはり本陣跡ということになりましょうね。


今では由比宿本陣公園という形で整備され、

由比宿観光の、いわばメイン・スポット(何しろ他は細かなものですから…)でもありましょうか。


由比宿本陣公園


公園ということですので芝生の広場などもあり、

平日の昼間だけに近所の保育園(たぶん)の一団が賑やかに遊び回っておりましたですよ。


されど、観光スポットというからには単に芝生が広がっておしまいというわけではなく、

由比宿交流館という観光案内所に展示スペースを併設した建物、

東海道広重美術館(これを見たところは、別途あれこれ書こうと思いますが)、

そして明治天皇行幸の際に小休憩された離れを復元した「御幸亭」がありました。


御幸亭@由比宿本陣公園


ちなみに、この御幸亭に附属する日本庭園は小堀遠州の作と言われ、

山岡鉄舟によって「松榧園」と命名されたという。

ちょっとしたことにも歴史が詰ってますですなぁ。


というところで、さしあたり由比宿交流館におじゃまして情報入手をすることに。

まずは、展示された往時の由比宿を再現したジオラマで全体像をつかまえたのですね。


由比宿ジオラマ@由比宿交流館


ちょうど上の並びの真ん中あたり、ひと際広い敷地が見てとれますけれど、ここが本陣。

なかなか広い敷地ではないかと思いましたが、往時の広さは約1300坪だそうで。



参勤交代のお殿様ともなると、一夜の宿とはいえ、こうも無駄に広いんですなぁ。

ちなみにお殿様のお泊りとなると、門前には「誰それがお泊り」と札が出され、

門そのものにも殿様のお家の定紋を染め抜いた幕が掛けられたそうな。


由比宿本陣の門


この辺り、宿場の入り口に木戸を設け、道まで枡型にして守備固めしてるわりに、

「今日はどこそこのお殿様がお泊りだよ」を広く告知するのは、釈然としないでもないですな。


もっとも本陣というもの事態が、宿場宿場にあるお偉いさんの宿所というより

本来的には戦時に構えた陣の中で大将がいるところを指していたことからすれば、

こそこそせずに武門の習いでしっかりと旗を掲げて…てなことになるんでしょうか。


それとも、結果的に長らく戦乱の起こらなかった江戸時代とはいえ、

幕府をこころよく思わない大名もままいたところでしょうから、

幕府側が全国に放っていたであろう密偵に対して、

どこそこの大名は変な隠しだてなく、今は参勤交代の途上でどこそこの宿におることを

高らかに宣言しておくことが徒に疑いを招かないことにもなったのやもしれぬなぁと思ったり。


ところで、交流館の中の展示スペースでは、

どこぞの器用な方がお作りになった木彫りによる広重の東海道五十三次が飾られてました。


木彫の五十三次「蒲原」 木彫の五十三次「由比」



ここでは先に広重の画像を見ていただいた「蒲原」と「由比」を取り上げましたけれど、

薄板を重ねて削り出したのでしょうか、3Dのような立体感のある五十三次。

これはこれで、妙に面白い作品ではないかと。


ただ、色付けを現在の塗料で行っているのか、

色彩的にはどうもあざとい色合いになってしまっているような。

広重の淡い感じとは、どうもちがうような気がしましたですよ。


ま、広重の本物は東海道広重美術館の方で見せてもらうことになるのですけれど。