「どうもすっきりせんお天気だのう…」
これでは薩埵峠(さったとうげ)での富士の眺望は今回見送りになるかも…というのが、
家を出たときの正直な気持ちでありましたですよ。
往路はいわゆる鈍行を乗り継いで最初の目的地・蒲原を目指したですが、
東京駅へ出て新幹線を使ったとしても、静岡駅では行き過ぎで三島駅では手前すぎ。
こだまを使えば新富士がありますけれど、この駅では東海道線に接続していない。
こうしたことと自らの住いが東京の西寄りなことを考え合わせると、
鈍行乗り継ぎでもさほど時間は変わらない(特急料金ばかりえらくかかる)ものですから、
小田急で小田原へ出、東海道線に乗り換えることにしたわけです。
その小田急線が小田原にもう到着という頃合い、
外は日が差しているのに何やらちらちらと舞っている…雪だったのですよね。
ますますもって、これはのっけから予定変更かと思ったものでありました。
が、そこはそれ温暖と言われる東海地方へ入りこんでいきますと、
雲は多いがさすがに雪はかけらもない。
ということで、まずは予定通りに蒲原駅で下車して、東海道を歩くことに。
と、蒲原と言って思い出すのは、やはり広重の東海道五十三次内の蒲原宿…の、
しかも切手になったものでありまして、これが子供には手が出しにくい値がついていたっけと。
(本当に雪だったら、蒲原宿が乙だったりして…)
で、蒲原駅で下車したとなれば、蒲原宿もひと巡り?と思うところやもですが、
蒲原宿はひとつ手前の新蒲原駅が最寄りでして、よほど立ち寄ろうかとも思いましたですね。
でも、そうこうしていると先が長すぎることになるので、止むなく割愛。
どうも昔の宿場と現在の駅とは必ずしもリンクしておらず、
蒲原宿の次の由比宿は東海道線の蒲原駅と由比駅の中間くらいの場所。
ということで、蒲原駅から歩きだした…というわけでありますが、
やがて目にとまった道しるべからも、中途半端な位置関係がご想像いただけようかと。
蒲原駅前こそは車のかなり行き交う東海道でありましたけれど、ここら辺まで来ると、
車用の東海道とは別れた旧道(たぶん)歩きになりますで、実にのんびりしたもの。
道のあっち側、こっち側、何か目にとまると道を横切って行き来するのもさほど危なくない状態。
「お、やおら祠が…」と思うと、一里塚跡だったりするのですよね。
街道筋に旅人の利便を目的に作られた一里塚。
目立たんなぁ…と思うのは今なればこそであって、
往時の一里塚は五間(約9m)四方という大きなものでもあったらしく、
そばには必ず榎木や松の木が植えられていたそうな。
ちゃあんと目につくように考えられていたのですなぁ。
ほどなくして、道がクランクといいますか、変に曲がった場所に行き当たりますけれど、
「桝型」という宿場の入り口を示すものの跡だそうで。
わざわざカギの手に道を折り曲げて、かつては木戸も設けられ、
お偉い殿様が泊まってたりするときに襲撃を防止したりする目的があったようです。
築城術と同じような考えですかね。
ここから先には「なるほど宿場町なんだぁね」と思われる家並みや史跡が登場してきますが、
とまれ由比宿の江戸寄りの入り口にたどりついたのでありました。